2016.12.08
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カテゴリ虎舞
さて本日は、第7回全国虎舞フェスティバルから大トリの平田虎舞です。
この虎舞の伝承地は釜石市の南方の平田(へいた)地区で、ここに鎮座する館山神社の祭礼に奉納されてきました。
詳しい由来書等はないが、、尾崎、錦町の流れということです。
ここ平田は、旧藩時代は南部・伊達の境で御番所があった地域です。
南部藩沿岸部に分布する虎舞もここ平田と、藩境を越えて隣接する伊達藩領内の唐丹、大石、吉浜が南限になっています。

平田地区も先の震災では館山神社の麓にある町並みや漁港が壊滅的な被害を受け、少し高台になっている旧釜石商業高等学校跡地に大きな仮設団地ができ、そこで平田地区の皆さんが生活している。

また、平田虎舞は、地区の岬に尾崎神社がある関係から、尾崎神社の秋季例祭 釜石祭りでも舞を奉納し、曳船も出します。
<写真は2003年の平田の曳船>

この日の虎舞フェスティバルは、大分寒さが厳しく最後になると人波も引いた感じになりましたが。
今年は釜石祭り行けないでしまったが、来年は魚市場の本格創業と、浜町界隈の復興も進むことと思われますので、綿津見祭りから見物にいきたいと思います。

動画でどうぞ。
テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2016.12.08 |
2016.12.07
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カテゴリ虎舞
さて本日は、第7回全国虎舞フェスティバルから招待団体で宮城県気仙沼市(旧本吉町の平磯地区)の平磯虎舞です。
平磯虎舞の発祥は天保時代に遡るという。
出漁祈願、大漁豊作家内安全を祈願して鎮守の須賀神社祭礼に踊られてきたという。

明治30年代頃、地元日門の大原清松という人が、岩手県方面から習い覚えたものを基礎として創意工夫を凝らして「通り囃子」「剣囃子」「おかざき」等の囃子に虎舞を組み合わせて完成したという。

虎のしぐさに細かい芸が有り、演技の際に台に上って虎舞をする等、豪壮な雰囲気もある。
平磯虎舞は別名「月見の虎」よ呼ばれ、旧暦3月15日に平磯地区にある手長山に住む虎が、日門海岸に降りてきて、煌々と照らされる海岸で踊り、眠り込んでしまう。そこにウサギがやってきて眠っている虎を起こし、また山に帰っていくというものである。

先の震災による人的被害はなかったものの、道具を置いていた集会所が被災し、太鼓が大小合わせ5張、法被、虎頭(昭和35
年から使用)、虎の皮が津波で流出した。また、元々の練習場所となっていた集会所(日門コミュニティセンター)も流出したという。
しかし、震災の年の初盆を迎えた8月14日、震災に負けない漁師町の心意気を示すかのように平磯復興祭で復活した。

動画でどうぞ
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2016.12.07 |
2016.12.06
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カテゴリ虎舞
さて本日は、第7回全国虎舞フェスティバルから釜石市の錦町虎舞です。
錦町虎舞は尾崎神社の門前町である澤村の虎舞で元禄12年に尾崎神社の遥拝殿が造営された時にも奉納されたいう記録がある。
片岸虎舞からの流れというが、古風な重厚さを持っている。

ここで、ちょっと昔の写真
1999年のお祭りです。
尾崎町から東前にかけて門打ちして歩く錦町の屋台です。
緑と赤の屋台の色使いが何とも唐風って感じでいい雰囲気です。

こちらは錦町の曳船です。
船上で虎舞も奉納されますが、入港時には御祝も歌われます。

錦町の虎頭は、古くは権現頭を虎様に彫刻したものを使用していたという。
大正期に門前住人の藤沢高一氏により張り子での頭を制作し、よりリアルな虎頭となったそうだ。

頭が軽くなった分、振り付けや跳ね回る踊りも大きくダイナミックになったということだ。

錦町虎舞は、虎舞の他に刺し鳥舞、狐狩り、おかめ漫才、御祝それに甚句等も中踊りとして保持していて祭りの門付けや祝いの席等で賑やかに囃される。

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2016.12.06 |
2016.12.05
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カテゴリ虎舞
さて本日は、第7回全国虎舞フェスティバルから県外招待団体の八戸市の佐比代虎舞です。
虎舞フェスティバルには2012年以来2度めの出演ということです。

佐比代虎舞と書いて「さびしろ虎舞」と読みます。また、その団体の依拠する地名から小中野左比代虎舞とも称します。

八戸の虎舞は、国の重要無形文化財に指定(つい先日にはユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録された)されている八戸三社大祭に神輿の供奉として練行列につく芸能です。
八戸の虎舞は、市内でも鮫・湊・小中野・新井田などいくつかの地域に虎舞が伝えられており、火伏せや航海安全に関する信仰として伝承されてきた。
<写真は2015年の三社大祭にて撮影>

八戸三社大祭は享保6年(1721)に法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願して長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが始まり。
虎舞は文政8年(1825)に鮫の虎舞が祭の行列に加わったとされている。
鮫は八戸の海岸部の集落で、岩手県の釜石・宮古地方との交流も考えられるが、同じ虎舞でも芸態や虎頭の意匠等大きな違いがある。巨大でデフォルメされた虎頭は、むしろ九州の虎踊りのものに近い。

また、ササラと呼ばれる子供たちが虎の背に乗る形態は陸前浜の獅子舞のものと近似性があり、囃子は八戸地方のえんぶりと混淆している。

小中野地区は八戸市東部の沿岸部に位置し、御前神社に奉じる御前神楽、小中野えんぶり組そして左比代虎舞が活動を行っている。
八戸の虎舞は、三社祭りに供奉する中でより華やかで観衆受けのするように風流化されてきたものと思料する。

だがしかし、祭りの中でも沿道の観客に頭固めをして歩くなど、尚信仰の対象であることを感じさせる。

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2016.12.05 |
2016.12.04
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カテゴリ虎舞
さて本日は、第7回全国虎舞フェスティバルから白浜虎舞です。
白浜虎舞の由来は次のとおり
「昭和55年(1980年)頃、鵜住居虎舞の指導をうけて発足しました。
踊の特徴演目には矢車、跳ね虎、笹喰みなどがあります。
航海の安全と操業の無事安全、大漁を祈願し奉納されますが、神輿渡御や曳船の船上での威勢の囃子も勇壮です。」
とあります。
白浜地区は鵜住居から箱崎地区を過ぎて箱崎半島の先にあります。

白浜虎舞さんは、今年の7月に橋野で開催された釜石うみやま郷土芸能大競演祭でもお見かけしました。
あの時は遠野側から笛吹峠を越えて会場まで車で行きましたが、その後8月の台風10号の影響で笛吹峠は通行止めになり、未だに復旧しておりません。早く復旧工事が進んでくれることを望みます。

演目は矢車、跳ね虎、そして笹喰みです。

甚句踊りです。

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2016.12.04 |
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