2017.08.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

崎浜大漁唄込み @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から崎浜大漁唄込みです。

といいつつ、演目に入る前に、プログラムの合間があいたので、会場の隣接地にある旧田老観光ホテルまで歩いてみた。

震災前は田老町が全国に誇る高さ10mのX字の巨大防潮堤でしたが、約20mを超える津波により瞬時に破壊され、防潮堤の内側にあったホテルも4階まで波が押し寄せて、2階まで破壊浸水したとこのとです。
この周辺は野原地区といい、昭和三陸大津波でも浸水地域で家がなくなった場所。
それが昭和50年代に新たな堤防が築かれて家が建ち始め、そしてここにホテルが建てられたという。
三陸沿岸の臨海地域に共通しているのは、町場を形成する平場が少ないために0m地帯でも建物をたてざるをえなくなるということ。
明治、昭和の大津波があっても10数年後にはまた新たな町が形成される、その繰り返しではあったが、今度ばかりはそうはいかない。そうあってはならないという教訓を後世に残すためにも、このホテルは震災遺構として残されることになったという。

大型重機が動き回る中で、海に向かって合掌し会場に戻った。



さて、崎浜大漁唄込みです。

由来について

「崎浜大漁唄込みはその昔、帆を操り櫓櫂を頼りに漁に出ていた時代から現代に伝えられているもので、300年を超える歴史があると言われております。
通信手段のなかった昔は、陸で待つ家族の元へ大漁の喜びを、いち早<知らせるための連絡手段でもありました。
唄い手が身に纏っている着物は、大漁看板と申しまして、大漁の際に網元から頂戴したご褒美で、言うなれば海の男の勲章でもあります。海の男の心意気は大漁看板に染み付いており、海の男のロマンは唄の中にしっかりと息づいています。
それは海を愛し、海に感謝し、海に捧げる讃歌であり、豊饒の海から港入りする、漁師の凱旋歌なのです。」

ということです。

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この唄い込みは今か340年前に紀州和歌山の新宮市宮崎から鰹漁とともに伝わったといいます。
唐桑では先の震災で大きな被害を受け、しばらくはこの唄をうたう気になれなかったと。
しかし、新宮市の漁師さんたちがいち早く救援物資を持って駆けつけた。(鮪を持って)
その恩に報いようと何かしなくてはと思った時にこの唄が自然と出てきた。
唐桑には「天運循環」という言葉が言い伝えられている。
これは、どんなに不漁がつづいても前の大漁から60年たてば必ずまた大漁があるという教えで、今回の震災から立ち上がり、必ずまた復興するのだという励みとしているそうです。


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動画でどうぞ。

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2017.08.18 |

2017.08.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

桜舞太鼓 @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から桜舞太鼓です。

桜舞太鼓の由来については「桜舞太鼓」公式HPから参照⇒公式HPへ

「本郷・桜舞太鼓は、唐丹町(岩手県釜石市)の天照御祖神社式年大祭、現在の『釜石桜祭り』において、本郷地区手踊り太鼓として昭和28年に考案者である三浦徳松氏の指導の下、本郷地区の青年達に発足されて以来、その技を磨きながら本郷青年会に伝承されてきた太鼓であり、本郷地区の郷土芸能の一線上に位置する団体であります。
本郷・桜舞太鼓の特徴は桜の花ビラが舞い踊る様をイメージした一糸乱れぬ勇壮で華麗な撥捌ばちさばきの『桜舞流舞打』にあります。
現在は、平成12年に結成された『鼓舞櫻会』が舞打ちの伝承活動及び創作曲にも力を注ぎ、各種イベントにも参加し積極的な活動をしております。
平成23年3月11日、東日本大震災による大津波に全てを飲み込まれる被害に遭いながらも、地元釜石市の支援者を始め全国の支援者・支援団体より援助を受け、同年5月より再起を図り同年7月に復活を果たし活動を再開。現在も尚一歩一歩復興へと向けた活動を展開しております」

とのことです。



本来は祭の際にトラックの荷台に太鼓を並べて、船のように揺らしながら流して歩く祭り太鼓でした。

画像は2015年の唐丹桜祭です。

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桜舞太鼓は釜石市の唐丹町を代表する芸能集団として世間に認識されたので、これからの活動に益々期待するものです。

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年々意欲的にレパートリーを増やしてきているようですので、これからも楽しみです。
とともに、いつか本郷の桜並木の下で桜舞太鼓を見たいな。

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動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.08.17 |

2017.08.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

臼澤鹿子踊@第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から臼澤鹿子踊です。

由来について「大槌の郷土芸能」より引用

「臼澤鹿子踊りの発祥は、現在の茨城、千葉近辺とされ、古くから農漁民によつて豊作豊漁、子孫繁栄、神仏礼拝など、生活に根ざした崇拝や娯楽として舞われていたものが原形とされている。
大槌への伝来は、1600年代、寛永の頃、当時は俵物と呼ばれた海産物の交易のため房州方面から出入りしていた船乗り達により伝えられたものである。
そのために当時は「房州踊り」と呼ばれ、主に時々の娯楽に庭踊りとして数十年にわたり継承された後、元禄14年1日8月14日、一の渡に鎮座していた小鎚神社への鰐口奉納を祝い、境内で儀式を正して舞つたのが小鎚神社での舞初めであつたとされている。この鰐口は現在も、小鎚神社の分社として祀られている臼澤の社に現存している。
この頃から発祥地と同様に神前での祈願、礼拝踊りが定着していったが踊り手法はまだ完成されたものではなく、更に後年、天明の頃、小鎚在の住人が諸国遍歴のおり、鹿島地方で偶然「房州踊り」に出会い、見覚えのある所作に加え、勇壮にして野趣豊かな踊りに魅せられ、そのまま長期間逗留し、舞、笛、太鼓を習い覚えて帰郷し未完成であつた鹿子踊りを完成させたと伝えられている。
また「しし踊り」と呼称されるようになつたのもこの時期以降であり、親子兄弟友達が仲良く踊るという意味から「鹿子踊り」と称し現在に継承されている。」

ということです。



思えば三陸海の盆も第1回はこの臼澤鹿子踊さんの伝承館のそばにある避難所の広場がスタートでした。

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ところで、幕踊系の獅子踊りの頭には、様々な種類の「たてもの」と呼ぶ飾りがあり、これにはそれぞれの地名や屋号、あるいは呪術的な象徴等が付けられます。

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また、三陸沿岸や遠野の獅子踊では、獅子に相対するものとして刀振り(刀掛け)がつく。
これはかつては少年の役ということでしたが、これが伝承元の房州(千葉県)周辺の羯鼓舞では女の子がササラや長刀、鈴等を持って獅子とともに踊るようです。
刀を振るほうが邪気を祓う感じがするし、神楽との習合も想起されます。

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見せ場の雌獅子狂い 激しいです

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動画でどうぞ。


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2017.08.16 |

2017.08.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

中野七頭舞 @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から中野七頭舞さんです。

由来については次のとおり。
(詳細は、中野七頭舞さんの公式HPをご参照ください⇒http://www.nanazumai.net/

「中野七頭舞は、黒森神楽を源流とし神楽宿への舞い込む時の演目「シットギジシ」を基本とした舞いであり、発端は天保時代に遡るといわれています。
当時、神楽太夫と呼ばれた工藤喜太郎は、北は久慈から南は山田大槌へ毎年巡業し好評を得たと言われています。この喜太郎が神楽舞いの一部を取り入れてこれを基本とし中野に七頭舞を創始したといわれています。
演舞する基本は、2人1組の7組で14人です。
即ち、「先打ち」「谷地払い」「薙刀」「太刀」「杵」「小鳥」「ササラスリ」の七種類で、これが七頭舞の語源とも言われています。
また、踊りの種類も「道具取り」「横跳ね」「チラシ」「戦い」「ツットウツ」「みあし(鳥居掛かり)」「道具納め」の七つに分かれており、ここからも七頭舞の意味がうかがわれます。
当初は神楽で踊らねていたのですが、時代とともにうつりかわり、集落の祭典に奉納されるようになりました。
五穀豊穣・家内安全大漁を祈願して踊る勇壮活発な舞いです。」

とあります。



中野七頭舞は岩泉町の海岸部の小本地区で伝承されています。
先の震災では会員の皆さんの家が流され、個人持ちの衣装も流出したということでした。その年5月の盛岡桜山神社での奉納を見に行った際は衣装もままならなかったことを思い出しました。

そんな意味からも、七頭舞は復興のシンボルでもあるのだなと思います。

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さて、何度も取り上げております中野七頭舞さんですが、今回は採物の紹介といきます。

先打ち

荒野をかきわけ測量をし、クイを打ちながら進むことを想定して踊ります。

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谷地払い

先打ちの測量に従い、荒地を改良していくことを思い浮かべて踊ります。

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薙刀

太い木を切倒したり、ケモノを追い払うことから力強く踊ります。

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太刀

丹念に作りあげた田畑を、悪い者たちやケモノに荒らされないよう見張りをすることから勇ましく踊ります。

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豊作となり、餅をつきお祝いをする気持ちで、くるくる回しながら踊ります。

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小鳥

豊作の喜びで、いままで働いてきた疲れは消え、弓と扇子でしなやかに踊ります。

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ササラスリ

みんなの労働をなぐさめ、疲れを取り除き、更に次の仕事に対して新たな気持ちを持たせるべく、こっけいに踊ります。

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震災前も全国的に名声をはせていた中野七頭舞さんですが、震災後も様々な場所での上演招請に応えながら、岩泉町の情報発信をも担ってきました。
これからも地域の絆の象徴として続いていくことと思います。

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動画でどうぞ。

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2017.08.15 |

2017.08.14 | Comments(2) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大宮神楽 綾遊び @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆のから大宮神楽の子供たちによる綾遊びです。

由来について

大宮神楽は昭和年代までは地名をとって和野神楽と称していた。
旧田野畑村の村社である大宮神社(大宮大権現)は田野畑村の羅賀地区に鎮座し、創建は延元2年(1337年)となっている。
別当の田野畑氏は元は羽黒派山伏の栄福院であり、代々山伏神楽を伝えてきた。
正月に二頭の権現頭を奉じて村内を祈祷して歩いたが、その際、舞立ちには舞立神楽と称して別当家で全演目を舞うということをしたということです。

ところで大宮神楽は、普代村の鵜鳥神楽と構成人員(神楽衆)がほぼ同じメンバーであるということです。
大宮神楽として活動する場合は大宮神社の権現様を奉じて、霞である田野畑村内の集落で神楽を演じる。一方、鵜鳥神楽として活動する場合は、鵜鳥神社の権現様を奉じて、霞である久慈市~釜石市の範囲を隔年で訪れているということです。
このことは、他の地方でも見られる「寄り合い神楽」の形であり、神楽が法印・神官によって行われていた頃からの影響といえるかもしれません。



この日のステージは、大宮神楽が指導している田野畑小学校の羅賀地区の子供たちによる神楽となりました。
ここにも学校統合の影響が表れています。統合前は羅賀小学校の学習の一環で児童が踊っていたということです。

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先の大震災では、この羅賀地区では標高25mまで津波が到達し、地区内の家屋では全壊 99 戸、半壊 14 戸の被害だったということです。

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ところで、和野神楽は黒森神楽から伝わったとありますが、本田安次著「山伏神楽・番楽」の「和野神楽 付記」にはこうあります。
「・・・黒森神楽では、中入狂言に、在来はなかった剣舞や手踊り等をも交えて演じているので、それらが目新しく感ぜられるのかもしれない。こうした工夫のことは黒森自身でも申していた」と、つまり和野神楽は古い形を残しているということか。

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沿岸部は過疎化の上に震災被害による人口流出が続いていますが、高台移転による住宅建設もそちらこちらに見られるようにりました。
子供たちの笑顔いっぱいの熱演に未来が見える気がしました。

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動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.08.14 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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