2018.07.11 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

加茂流舘神楽 天孫舞 @ 第14回登米市民俗芸能大会

さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から加茂流舘神楽さんで天孫舞です。

その前に舘神楽さんの由来について。

「明治三九年、五穀豊穣、疫病退散と併せて日露戦争後の青年の心の融和を目標に、及川徳蔵が庭元となり、栗原郡藤里村藤里(現在瀬峯町)より南部神楽の細川勇三郎師匠を招き神楽の指導を受け、舘青年神楽を創設した。
その後明治45年に解散したが大正元年9月に及川徳蔵、佐々木次郎右エ門が師匠になり再編され、再び新羅神社の附属神楽となりました。この時、上沼加茂流法印神楽の流派からその名を冠し、「加茂流舘神楽」と命名されました。」
そして昭和45年に保存会を設立し、平成17年に登米市無形文化財に指定されています。

保持する演目は、鳥舞、水神舞、八幡舞、軍勢借り、朝見ずの里、一の谷合戦、東下り、鞍馬破り、産小屋切り開き、西の宮 等となっています。

現在の代表は及川孝樹さんです。




天孫舞は、天孫瓊瓊杵尊が高天原に天下って来る際のいわゆる天孫降臨を題材にしております。

幕出し歌は  〽センヤー天孫舞は いま出てくる

最初に荒舞の調子で猿田彦尊が現れ、四方を祓い清めます。

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次いで、天孫瓊瓊杵尊と天之鈿女命が天降ってきます。


天之鈿女命です。
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瓊瓊杵尊です。
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猿田彦尊と天宇受売命の問答になり、猿田彦尊が天孫を道案内いたしますということで、千代の御神楽となり、最後に面を外してのくずし舞となります。

最初は鉾と扇での御神楽舞ですが、途中で刀に持ち替えて抜刀してのくずし舞となります、山伏神楽の形態が見て取れます。

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2018.07.11 |

2018.07.10 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

山ノ神神楽 八幡舞 @ 第14回登米市民俗芸能大会

さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から山ノ神神楽さんで八幡舞です。

その前に山ノ神神楽(別称 滝沢流南部神楽)さんの由来について

「神楽に関する文献資料等は現存しないが、江戸時代に法印神楽として行われてきたものが明治維新の禁令により法印神楽が途絶えたため、大正5年(1916)に若柳町の千葉盛を師匠に迎え、南部神楽として会員17名で復活したのが「山ノ神神楽」と言われています。
昭和44年に迫町無形文化財にしてされ、平成17年に登米市無形文化財に指定されました。

保持する演目は、天の岩戸開き、天の叢雲の劔、八岐の大蛇退治、水神明神舞、三番叟、翁舞、水神舞、八幡舞、西ノ宮大神宮、牛若丸東下り、屋島合戦、一の谷の合戦 などとなっています。」ということです。

そして現在の代表は高橋章一さんです。



登米市の神楽団体は、隣接する法印神楽の影響かもしれませんが比較的神舞を多く演じられているようです。

幕出し  〽  センヤー 八幡舞は 天降るよ センヤー

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山ノ神神楽さんは平成八年から地元の新田第一小学校の児童に御神楽を指導し、子供神楽として地域に根付いている。
しかし、そのご小学校の統合などにより子どもたちへの指導は中断していたが、平成22年から子供神楽経験者から若手の後継者が育ち継承に務めています」

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この日も舞手6人のうち5人は小学生から高校生ということです。

舞の手は子どもたち用にアレンジされていますが、何となく山ノ神神楽の特徴がわかります。(橋向風かな)

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山ノ神の本地を語る部分は皆で大きな声で歌い上げているのが大変良いと思いました。

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2018.07.10 |

2018.07.09 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

日高見流浅部法印神楽 笹結 @ 第14回登米市民俗芸能大会

さて本日からは、7月8日に登米市中田農村環境改善センターにて開催された第14回登米市民俗芸能大会についてリポートしていきます。

当日は出演団体の都合でプログラムが一部変更になりましたので、下記に掲載します。
とにかくバラエティーに富んでいます。



最初は日高見流浅部法印神楽さんの笹結(ささむすび)です。

日高見流浅部法印神楽さんの由来は

室町時代の康暦年中(1379~ 1381)、瀧澤道胤が岩手県東磐井郡藤沢町西口にあった不動院に神楽を伝えたのが「西口流神楽」と称されるもので、寛保年間(1741~ 1744)に上沼八幡神楽へ伝承され、延享3年(1746)、京都賀茂出身で東叡山の峻学が東北地方巡視の折、上沼妙学院(白幡家)方に滞在したとき、良真・自海法印が笛・太鼓の唱歌を学び、元付十二春の神楽を伝授されたのが加茂流神楽と言われ、江戸時代、妙覺院を中心とした六ヶ院の修験集団により神楽が演じられ、文化・文政の頃には加わる法印も増え十三ヶ院を擁するに至り、明治初年まで盛んに行われてきました。
明治初年の神仏分離令により修験院が解体され神楽の継承が難しくなったため、旧浅邊村の三壽院芳賀廣瀬法印は、明治5年(1872)、白山姫神社の氏子10名に五十番の神楽を伝授し、「日高見流神楽」と称して、今日まで連綿と伝承しています。この神楽は、「流神楽」と呼ばれ、全国でも登米市中田町の「上沼」と「浅部」の2か所にしか伝承されていない貴重な神楽です。
法印神楽は、陰陽道に基づく独特な手印を結び、特殊な足踏をし、複雑な多くの舞型を残しています。
昭和51年(1976)には「大乗飾り」と呼ばれる特殊な舞台飾りを復元させています。

とあります。

囃子方は法印神楽の形態ですが、太鼓は締太鼓が一台と笛が付きます。
なお、太鼓には太鼓唱歌がありません。(上沼法印神楽にはある)

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装束は法印神楽風ですがより簡素というか古態なものを伝承しています。
采や大口の用い方も古いものを感じさせます。

伊弉諾・伊弉冊二神が出ます。
天の逆鉾で大海原をかき回し、引き上げた先から滴り落ちたものが固まってできたのが大八洲国。

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そこへ頭が五つで胴が一つという五鬼大人が現れ悪事をなしていた。
最初はなぜか女人姿で舞台を一巡りすると会場後方に設えた高舞台に入ります。

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高舞台です。この中には後見人が入っていて衣装の着替えを手伝います。

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天津神が五鬼大人を退治すべく祟得王を呼び出します。(陸前浜の法印神楽では「崇神四道」としている)

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祟得王が高舞台を棒で叩くと中から五鬼大人が出てきて戦闘となります。

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舞台に戻って棒と刀で激しい責め合いが続きます。

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最後は五鬼大人を追い払い、奪い取った刀を掲げて勝利の行道で舞い納めます。

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2018.07.09 |

2018.07.08 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

和田神楽 権現舞 @ 第34回江刺神楽大会

さて本日は、第34回江刺神楽大会から最後の演目です。和田神楽さんの権現舞です。

和田神楽さんの由来については定本より

「昭和七年、江刺郡田原村川内神楽の師匠菊地庄右エ門師匠他六名の師匠の指導にて、和田神楽を創設した。
二代庭元及川弘二、三代及川喜三郎、四代菊地輝雄、五代菅原真悦、佐藤卯三郎は六代目である。
昭和五六年、和田神楽創立五○周年記念式典を行っている。」

とありますが、現在の代表は佐藤隆司さんです。そして、和田神楽は小川原流和田神楽と称していますが、この小川原流というのは元になった瀬台野神楽の明治初年代の神楽師匠である小河原房松からとったものという。



ところで瀬台野系の権現舞は、先導役として猿田彦があり、それに権現持ちの二人と、太刀持ちという鎮め役がつくタイプです。
そして、早池峰系の権現舞のような下舞はないのですが、同じ瀬台野系でも江刺の団体ではなぜか下舞がつきます。
といっても早池峰系の下舞とは違って、こちらは御神楽舞の内容になっているところが特徴です。
これは、明治期に隣接していた早池峰系権現舞と習合したことが見て取れます。

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川内神楽は羽田の権現舞から習ったというので、現在の黒田助獅子舞に見られるような獅子舞でした。
ところが、川内神楽の弟子神楽である和田神楽や玉ノ木神楽の権現舞には早池峰系の様式が混入しています。
とにかくご利益がたくさんありそうです。

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権現舞の初段は太刀持ちが獅子を祓い

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後段は米、水、酒で清祓をし、さらに風呂敷に包んだ物のお祓いをします。

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最後に神送りです。

「登保加美恵美多美次良震選離押兌乾祓披給清米給・・・畏美畏美母白須」

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2018.07.08 |

2018.07.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 弁慶安宅の関 @ 第34回江刺神楽大会

さて本日は、第34回江刺神楽大会から、特別出演の達古袋神楽さんで弁慶安宅の関です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。



さて、演目の安宅の関です。

義経公が弁慶ともども都落ちする場面です。

幕出しは

〽  センヤー 義経はよ 平泉さしてぞ 急ぐなりホー 急ぐなりホー

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兄頼朝の追討命令により、都を追われた義経と弁慶が平泉をさして落ち延びる途中安宅の関にと着きます

義経です

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弁慶です

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特に山伏を通す時は詳しく詮議せよとの通達を受けた関守の富樫左衛門泰家が義経主従を呼び止めます

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山伏ならば勧進帳を持参するはず、ここで読み上げてみよと迫ります。
弁慶は機転をきかし、東大寺建立の勧進帳を空読みします。

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弁慶は関守に見悟られてはならじと咄嗟に主君を打ち据えてみせる

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数々の疑問はあるものの、山伏一行を義経主従と見破った富樫左衛門尉ですが、武士の情けで通すことに気めます。
山伏先達を武蔵坊弁慶と見破りながらも大法師と呼びかける心遣いに神楽の観衆も惜しみない拍手を送ります。

「彼も武士なら我も武士。ここで、判官殿に縄をかけるのは容易けれど、ここが武士の情けのかけどころ」

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主君への非礼を詫びて自害しようとする弁慶を義経が押しとどめ、弁慶までもここで死なれたら私は頼るものがいなくなる、共に奥州めざしてはくれぬかと諭します。
〽 無事に平泉に辿り着くまで汝にこの身を託すぞえ

無常感とともに人情を感じる場面です。

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2018.07.07 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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