2017.05.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

古内神楽 牛若丸、弁慶五條ヶ橋@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から古内神楽さんで牛若丸、弁慶五條ヶ橋です。

古内神楽さんの由来については定本から

「古くは大久保の春日神社の奉納神楽として別堂三学院が法印神楽を奉納して来たと伝えられている。
弘化年代(一八四六)徳右エ門が宮元となり同村下黒沢神楽から南部神楽の指導を受け古内神楽を再興した。
法印神楽時代のものと思われる型の古い神楽面も多く保存されており、とくに天保12年(一八四一)の年号のある蛇面は、昭和五一年六月一関市の有形民俗文化財に指定された。
初代宮元徳右エ門、二代阿部専治、三代菅原栄三郎、四代菅原万次郎、五代阿部永治、六代阿部卯右エ門、七代阿部竹左エ門、八代阿部清喜、九代阿部考吾である。」

と。



〽センヤー八雲立つ   武蔵坊弁慶が力強くネリ舞で入り込みます

千本目の刀を求めて牛若丸を待ち伏せます。

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そこへ、牛若丸が夜な夜な刀を奪う夜行の悪党がいると聞き、討ちとらんとして五條の橋にきます

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牛若丸は鞍馬山で修行した術を駆使して弁慶を討ち取ります。

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命乞いをする弁慶に主従の契をするならば助け申すと牛若丸。
かくて源氏再興をめざして千代の御神楽で舞い納めます。

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動画でどうぞ。


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2017.05.16 |

2017.05.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 岩戸開き@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から達古袋神楽さんで岩戸開きです。

その前に達古袋神楽の由来について

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」とある。
自鏡山麓にある集落で、古くから神楽が行われ、胆沢・宮城県北地方へ神楽を広めていった大元といってよい神楽団体であります。

現在の代表は小岩恭一さんです。



天児屋根命が天地開闢から神々の系譜を語ります。

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天の岩戸の前で神楽舞を舞って天照皇大神を誘い出す役を勤めた天宇受売命です。

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そこへ天手力男命が出現して天照大御神が隠れた岩谷の扉を開けようとします

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岩戸を開いて天照皇大神を引き出すと、世の中は再び明るくなりました。

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すべてが成功して、お祝いに千代の御神楽を舞います
ここの達古袋神楽さん独自の岩戸崩しをよくご覧下さい。

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動画でどうぞ。

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2017.05.15 |

2017.05.14 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

赤谷神楽 降神の舞@平泉熊野三社奉納神楽

さて、平泉つながりで本日からは平泉町鎮座熊野三社で行われました南部神楽七団体によります神楽奉納をリポートしていきます。

この日は、5月3日ということで、春の藤原祭りが盛大に行われ、特にこの日は義経東下り行列の日でもあり沢山の観光客が押し寄せていました。
そんな中ですが、ここ花立にある熊野三社でも神楽上演を知らずに通りかかった人たちが南部神楽も見ていったようです。
こういう設定も大事だなと思いました。

午前10時に神事が始まり、拝殿には各神楽団体の代表が参拝しました。



その後、境内の神楽殿で上演の開始です。
沢山の飾り幣束がキレイです。
これは最後に観客の皆さんに配られました。

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降神の舞は、南部神楽では式舞の最初とされ、これは法印神楽での儀礼を受け継ぐもので、最初に面をつけないで拝礼し、その後に着面して翁舞をします。

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舞そのものは、法印神楽のものを伝えているわではなく、所作は南部神楽としてのものになっています。

翁の言い立ては

さて  千年の末代   河の池の亀

 茅は還りて萱となり 萱は還りて茅となりぬ

つまり、諸事安寧、庶民安寧を祈祷する舞となっています。 

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動画でどうぞ。

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2017.05.14 |

2017.05.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達谷窟毘沙門神楽 岩戸開き@白山社觀櫻會

さて本日は、先日ブログの厳美大会からの流れで、平泉町達谷の窟にある白山社の春季例祭に行われます觀櫻會から神楽奉納です。

毎年4月29日の祝日に開催される岩手県南宮城県北神楽大会が夕刻5時頃に終わるため、そこから北へ4km程の所にある世界遺産の圏内にある達谷窟毘沙門堂境内で行われる觀櫻會に間に合います。

この日の春季大祭の次第は次のとおり

9:00      献 茶  (於 毘沙門堂)
10:00~15:00  茶 会  (於 御供所)
                 手嶋宗典社中添え
14:00~     筝曲奉納 (於 毘沙門堂)
                  生田流筝糸会
16:00~     観桜会神事法要 (於 金堂)
         御神楽奉納 達谷毘沙門神楽

17:00~     夜神楽 (於 御供所前庭)
         子供御神楽 岩戸入 岩戸開 月見坂の危難 五条大橋


ということで、なんとか間に合った天の岩戸開きについてお伝えします。

その前に、達谷窟毘沙門神楽の由来については定本より

「今から230年ほど前に始められたと言い伝えがあるが資料はない。
明治初期、水沢市北下幅神楽と、大正初期水沢市瀬台野神楽を指導し交流がなされている。
現在の神楽は、昭和四八年、平泉町平泉字上窟の阿部幸吉師匠の指導により復活したものである。
古い庭元のことは不明であるが、現在照井幸男が代表者となり世話している」とあります。

その照井幸男さんが、つい先日他界されました。
平成4年岩手日報社発刊の「いわての郷土芸能」の中にこう記されています。

昭和61年からは平泉幼稚園に通う集落の子供たちに神楽を指導し、幼稚園のお別れ会等の行事で披露し喜ばれているそうだ。
「私達が伝承する時に苦労した思いを、子供たちが大人になった時にさせたくないんです。幼稚園のうちから踊っていれば、そのうち何人かは大人になっても、きちんと演じてくれていると思っています。」と照井幸男は語っている。

それから30年経ち、その幼稚園児たちが立派に神楽を伝承し、現在の胴取は孫の照井久美さんが引き継いでいる。



岩戸開きです。
天の岩戸の前で、天児屋根命が現れて、八百万の神々を呼び出します。

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それに応えて思兼命や布刀玉命等が現れます。


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続いて,天照皇大神の興味をひこうと天宇受賣命が出ます。

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そして、珍しいことに天宇受賣命が天の岩戸の広場に篝火を灯します。

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で、天宇受賣命が岩戸の前で天照皇大神を誘い出す舞を優雅に舞います。

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めでたく天照皇大神が出現し世の中が明るくなります。

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岩戸が開いたところで、千代の御神楽くずし舞となります。

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動画でどうぞ。

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2017.05.13 |

2017.05.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川内神楽 壇の浦 扇の的@第47回岩手県南・宮城県北神楽大会

さて、本日は第47回岩手県南・宮城県北神楽大会から、昨年度優勝した奥州市衣川区の川内神楽によりますアトラクションです。
連速優勝を回避するための心使いと思いますが、それだけに緊張のステージだと思います。

と、その前に川内神楽さんの由来について 

「川内神楽は古い歴史を持ち、今より二○○年前川内要害の利平他数名が、西磐井郡厳美村山谷神楽より政吉師匠を招き指導を受けたのが始まりである。
明治末期に至り神楽は各地に盛んになったので、他に負けないようにと再び三輪流山谷神楽より師匠を招き、振り付けを学んだ。
大正五年、西磐井郡平泉戸河内神楽に、また大正一○年頃、胆沢郡前沢町白鳥神楽を指導し組織した。
初代庭元高橋利平、二代利右エ門、三代七右エ門、四代菅原熊太郎、現在の庭元菅原宏は一二代目である。
昭和五三年三月二五日、衣川村より無形文化財の指定を受けた。」

とあり、現在も代表は菅原宏さんです。




扇の的は源平合戦の名シーンで、那須の与一の活躍する場面です。

平家を追討して屋島に渡った義経軍は沖に停泊する平家軍を眺めつつ「今日は日暮れぬ。勝負を決すべからず」と語ったのは平家物語の一節です。

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そこへ平家方から一艘の舟が女官を乗せて義経軍の陣立てする浜の沖に止めて日の丸の扇をかざします。

ちなみに女官の足元には板で作った小舟の大道具で演出されていました。

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義経は家臣後藤兵衛実元を呼び寄せあの扇の的の意味は如何にと問います。
あの扇は戦の運試しに違いないので、必ず射落とせる者を呼び寄せよと命じます。

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そして呼び寄せられたのが弓上手で聞こえた下野国の住人、那須太郎資高の子、与一宗高です。

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沖の舟の周りは波高く、風も強し。扇の的を射るのは至難の業とみた与一は神仏に祈ります。

「南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの扇のまん中射させて賜ばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面を向かふべからず。
いま一度本国へ迎へんとおぼし召さば、この矢はづさせたまふな」と心の内に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。」

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そしてビシッと射た鏑矢は見事扇の要を射落とします。

平曲では「敵の兵士も箙を叩いて賞賛したり」という。

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動画でどうぞ。


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2017.05.12 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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