2017.09.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川内神楽 那須与一 扇の的 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から川内神楽さんで 那須与一 扇の的です。

その前に川内神楽さんの由来について定本より

「川内神楽は古い歴史を持ち、今より二○○年前、川内要害の利平他数名が、西磐井郡厳美村山谷神楽より政吉師匠を招き指導を受けたのが始まりである。
明治末期に至り神楽は各地に盛んになったので、他に負けないようにと再び三輪流山谷神楽より師匠を招き、振り付けを学んだ。
大正五年、西磐井郡平泉戸河内神楽に、また大正一○年頃、胆沢郡前沢町白鳥神楽を指導し組織した。
初代庭元高橋利平、二代利右エ門、三代七右エ門、四代菅原熊太郎、現在の庭元菅原宏は一二代目である。
昭和五三年三月二五日、衣川村より無形文化財の指定を受けた。」

とありますが、今も代表は菅原宏大先生です。お元気です。



平家を追討して屋島に渡った義経軍は沖に停泊する平家軍を眺めつつ「今日は日暮れぬ。勝負を決すべからず」と語ったのは平家物語の一節です。

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そこへ平家方から一艘の舟が女官を乗せて義経軍の陣立てする浜の沖に止めて日の丸の扇をかざします。

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義経は部下を呼び寄せあの扇の的の意味は如何にと問います。
あの扇は戦の運試しに違いないので、必ず射落とせる者を呼び寄せよと命じます。

そして呼び寄せられたのが弓上手で聞こえた下野国の住人、那須太郎資高の子、与一宗高です。

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与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、わが国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの扇のまん中射させて賜ばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面を向かふべからず。
いま一度本国へ迎へんとおぼし召さば、この矢はづさせたまふな」と心の内に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。」

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折からの風も止み、与一が放った矢が見事に扇を落とし、敵味方の別なく喝采の声があがります。

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動画でどうぞ。

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2017.09.18 |

2017.09.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

赤谷神楽 義経中尊寺、月見坂の受難 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から赤谷神楽さんで義経中尊寺、月見坂の受難です。

その前に、赤谷神楽さんの由来について

「明治二六年、鈴木築吉が庭元となり岩手県西磐井郡花泉町、上油田神楽の佐藤和三郎師匠の指導により、橋向神楽を創設する。
昭和二六年、工藤文市が庭元となり内容の充実を図り、赤谷神楽と改称した。
初代庭元鈴木蕊吉、現在の庭元工藤貞夫は五代目である。」

ということです。現在の代表は小野寺和夫さんです。



演目は藤原秀衡の死によつて平泉にいることが出来なくなつた義経は中尊寺・月見坂で女刺客に襲われながらも、弁慶に救われ難を逃れます。義経は平泉を去る決意をし、金色堂に参詣し、亡き秀衡に別れを告げると、そこへ亡き秀衡が現れ、弁慶と義経を導き、平泉を去るまでの場面です。


義経さんです

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源頼朝が義経の命を狙うべく放った刺客の錦戸の上臈です

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下戸の義経にいろいろとあっって酒を飲ませて命を狙おうと図ります

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酔いつぶれた義経に短剣で襲いかかる錦戸の上臈ですが

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そこへ、胸騒ぎがして駆けつけた武蔵坊弁慶が割って入り、錦戸の上臈を蹴散らします

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藤原秀衡が生きていた頃は義経も安穏と暮らしていたが、秀衡死後は今日のような危ういことが起こる。
この上はいかにせんやと秀衡公の墓前に参る二人でした。

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動画でどうぞ。


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2017.09.17 |

2017.09.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

岡谷地南部神楽 八幡舞 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から岡谷地南部神楽で八幡舞です。

その前に岡谷地南部神楽さんの由来について

「明治三二年、工藤清右エ門(東和町嵯峨立から養子に来た人)が庭元兼師匠となり、修験道賀田羽流剣舞神楽を部落の若者達に指導し、岡谷地南部神楽を創設した。
また、大正時代に中田町宝江新井田から師匠を招いて笹流新井田神楽や加茂流舘神楽の芸風も取り入れた。
発足以来、地元の旧県社登米八幡神社の秋季例祭に奉納されてきた。
法印神楽の影響をよく残しており、笹結や宇賀玉等の演目を保持している。
初代庭元工藤清右エ門である。」

とありますが、現在の代表は佐久田和尋さんです。
胴は渡辺駿さんです。



近年南部神楽の大会では、この種の神舞を上演する団体が少なくなり、審査員の先生方の講評でも劇舞ばかりでなく神舞もということが度々言われております。私もそう願います。

岡谷地南部神楽さんでは、この日は別演目でのエントリーでしたが、当日変更となりました。

登米地方の神楽団体では、周辺に法印神楽が沢山残っていることもあって、こういった神舞を数多く保持しています。これも特長といえるかもしれません。

幕上げ唄からはじまります

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八幡舞は誉田別命と品夜別命の兄弟二神の舞で、父である仲哀天皇と母である神功皇后も讃える舞となっています。

舞手は大人と中学生の神楽女子です。

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御神楽の手で一舞すると言い立てになります。

八幡神の本地を説くセリフです。胴取りと掛け合いになっています。
笹谷流の系譜ということですが、調子が一関地方のいわゆる瑞山流の名残も見られます。

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最後は扇と幣束を十字に持って弓矢とし、激しく舞います。
まさに悪霊厄難をうち祓う祈祷舞です。

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最後に、いつもの撥車です。
お見事でした!

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動画でどうぞ。

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2017.09.16 |

2017.09.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

長下田神楽 一の谷の合戦、首取りの場 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から長下田神楽さんで 一の谷の合戦、首取りの場です。

長下田神楽さんの由来について

「明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。」とあります。

現在の代表は猪股一雄さんです。



目は一の谷で平敦盛の首を熊谷次郎直実が討ち取る場面です。

熊谷次郎直実が味方の舟に乗り遅れた若武者敦盛を見つけて呼び止め戦いになりますが、直実は我が子と同じ年頃の敦盛を不憫と思い逃します。

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そこへ、同じく早駆けしてきた平山判官秀重に呼び止められ、敵に二心ありと責められます

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そこで悩む直実も、源氏のためにと敦盛を呼び戻すことに

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戻った敦盛の首を取る場面ですが 息子直家と重なりなかなか討てずにいます。
敦盛がそれならばと自刃をしようとするを押しとどめ 、やむなく涙を飲んで敦盛の首を取らざるを得なくなります。

念仏口説きがかかります

〽 西は西方弥陀如来、東は東方南無三宝、南は南方薬師如来、北は北方八幡大菩薩
   中に立ったる敦盛が極楽浄土に参るように


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最後の場面では敦盛の面と采を持って討ち取ったことを表現している。
ここで多くの神楽では敦盛は幕の陰に退場するのだが、さあにあらず、首のない敦盛が後方に蹲ったままである。
ある意味緊張感が漂う演出である。

〽 迷わず成仏いたされよ

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動画でどうぞ。

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2017.09.15 |

2017.09.14 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

栗原神楽 熊谷直実、平敦盛首取りの場 @ 第57回北辰神社神楽大会

さて本日は、第57回北辰神社神楽大会から栗原神楽さんで熊谷直実、平敦盛首取りの場です。

栗原神楽さんの由来については定本より

「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。

現在の代表者は佐藤敬さんです。



一の谷の合戦で、源氏方の猛将熊谷直実は、平家方の若武者平敦盛を捕らえるも、かつて仕えた平経盛公の子と知り、逃してやります。

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波打ち際で命を助けた平敦盛を、味方の武者奉行の平山季重に咎められて進退窮まります。

〽 渚に立ったる 熊谷よ~

   再び敦盛公を呼び戻すなら 何と言い訳いたさんやのう

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呼び戻されて平敦盛が和歌を吟じながら出てきます

〽 ほのぼのと 明石が浦の朝霧に 出で立つ舟としぞ思ふ 

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しかし熊谷直実は敦盛公が、かつて自分が仕えた常盛公の子であり、我子直家と同じ歳であるということが脳裏をかすめ、直実は首を討てない。
逆に敦盛公に「情もないぞよ熊谷殿、我細首討ち取れんなら自ら―人にて自害なす」と言われ、泣く泣く首を取る場面であります。

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敦盛公の首級を携えて、平山判官の首検分を終えた熊谷は敦盛を手厚く葬ると出家して法然上人のもとで蓮生坊となります。

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動画でどうぞ。



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2017.09.14 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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