2017.11.10 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

中野神楽 法童丸・父と対面の場

さて本日は、これはりの里神楽伝承まつりから中野神楽さんで 法童丸・父と対面の場です。

その前に中野神楽さんの由来について定本より

「明治5年、佐竹幸吉が庭元となり岩手県西磐井郡厳美村、三輪流山谷神楽の師匠を招き指導を受け、中野神楽を創設した。
二代、三代とも山谷神楽の師匠の指導を受けた。」
とあります。
現在の代表は六代目の佐竹正義さんです。

右側の二人は兄弟です。鉦摺りのタイミングもピッタリ!



さて、演目は源平合戦一の谷で熊谷次郎直実に討たれた平敦盛の一子法童丸が法然上人に預けられ、やがて自分の身の上に疑問をもったことから始まります。

自分の父母はどこにいるのかと法童丸に問われて法然上人は母親に会わせることにします。


IMG_8511.jpg

法童丸です。面が法印神楽の古面で、かつては法印神楽で使用されたものと思います。


IMG_8516_2017111020021733d.jpg

賀茂神社の下り松の前で法然上人が呼びかけて出てきた法童丸の母で平敦盛の妻 玉織姫です。

IMG_8519.jpg

京の都、加茂の明神下がり松の根本に捨て子にされた法童丸を、その子の父平敦盛の首を討った熊谷次郎直実改め連生坊が拾い上げ養育した経過より、その加茂の明神に行けば法童丸の母に会えるのではと道行く人に呼びかけます。
そこに一人の女性が応えます。
子を捨てる時に置いた黄金造りの短剣が目印と我が子と対面する玉織姫です。
母子対面をするも、法童丸に我が父はいずこにと問われ、玉織姫は敦盛の仇はそこな蓮生坊=熊谷次郎直実だと、幣束を投げやって教えます。

産みの父親敦盛を育ての親直実が首を討ったということを知った法童丸は、いかで忠孝を全うすべきと逡巡し、結果直実に刀を向けます。

そこで蓮生坊は法童丸の刃を受けながら、滔々と人の道を説諭します。

IMG_8528.jpg

かくて、人の道として真の道を進むとともに、亡き父親=敦盛の菩提を弔うことにより己の人生が開けようとの法然上人の教えによって、法童丸は父の墓所へと急ぎます。


父の墓に向かって一心に弔いをする内にうたた寝をしてしまう。

そこへ霊魂となった敦盛が、息子の法童丸に自分は熊谷に討たれたけれどもそれは戦の常であり、熊谷は自分を手厚く弔ってくれたのだから決して親の敵と恨むなと諭して消えます。

あとに残された法童丸は別れを惜しみます。

〽 涙は仏の為ならず 名残惜しくはそうらえども これより我が家をさしてぞ急ぐなり

IMG_8533.jpg

動画でどうぞ。

2017.11.10 |

2017.11.09 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

南沢神楽 宝剣納盗み取 @ これはりの里神楽伝承まつり

さて本日は、これはりの里神楽伝承まつりからゲストで一関市の南沢神楽さんです。

その前に、南沢神楽の由来について

「明治初期、市野々に本郷神楽が組織され、市野々神楽の本流となったが昭和初期衰退した。
 昭和一五年、金野米右エ門が宮元になり、本郷神楽の千葉秀雄師匠を招き神楽の指導を受け、南沢神楽を創設した。戦前は蘇武運一郎師匠が、戦後は蘇武築登師匠が指導に当り現在に到っている。
 初代宮元金野米右エ門、二代佐藤匡美、三代蘇武栄、四代蘇武秋男である。
 蘇武運一郎は神楽の師匠であると同時に神楽面師でもある。また、岩手県南宮城県北神楽大会の審査員を二○年にわたり勤め感謝状を授けている。」

とありますが、現在の代表は佐藤耕三さんです。



素戔嗚尊が八岐の大蛇退治で得た叢雲の劔を熱田の宮に納める場面です

IMG_8476.jpg

その後に、磐長姫に身を変じた悪霊が緩やかに踊る場面です。
この時に胴取りが太鼓を打ちながら神謡を唄いますが、これが「山の端」と言われる女舞に専ら奏される神楽歌です。
実に.みちのくの風景に合う旋律です。

IMG_8486.jpg

そして、磐長姫が山の端舞を演じるうちに、太鼓の拍子は責めの調子になります。

磐長姫転じた鬼女を禍々しくも演じます。

IMG_8493.jpg

鬼女が宝剣を盗み取るも、三種の神器の一つ八咫の鏡に己の真実の姿を映し出されて逃げ帰る場面です。

IMG_8500.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.11.09 |

2017.11.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

瀬峰神楽(子供) 八幡舞 平成29年10月29日 これはりの里神楽伝承まつり

さて本日は、これはりの里神楽伝承まつりから、瀬峰神楽さんが指導を行っている瀬峰小学校の子供たちによります八幡舞についてです。

その前に、瀬峰神楽さんの由来について、会長の門脇さんに電話でインタビューした内容から

「現在の瀬峰は、明治の中頃まで藤沢地区と大里地区に分かれていた。
藤沢地区には南部神楽の流れを汲む二つの藤沢神楽が存在していた。
氏家慶喜氏と細川勇三郎氏をそれぞれ座頭に活動していた。しかし両神楽とも後継者に恵まれず、大正の中頃には自然消滅状態となり、実に五十数年もの間途絶えていた。
昭和四十六年四月、当時の瀬峰町文化財保護委員の木村二郎氏が、藤沢神楽を復活させようと各方面に提唱していた。おりしも同年十二月十八日の河北新報に、登米市中田町宝江新田の「舘神楽」が紹介されていた。それによると舘神楽の元祖は、瀬峰の藤沢神楽であると判明したと書かれていた。これを機に木村氏は更なる呼びかけをし、舘神楽に指導を仰いで練習を重ね、昭和五十年一月十九日「瀬峰神楽保存会」(初代会長鎌田里見、会員十三名)の名称で設立発足し現在に至っている。」

ということで、その舘神楽は加茂流を称しているとおり流神楽を継承しているので、幕末の藤沢神楽自体が流神楽だったことなのかもしれない。



この日は神楽の伝承を確かなものとするという意義もこめられたイベントだったので、各神楽団体が子供たちに関わりをもっって伝承活動を行っていることの発表という意味合いもありました。

瀬峰神楽さんでは、地元の瀬峰小学校の児童たちに17年前から総合学習の授業の一環として神楽を指導してきたということです。

瀬峰は栗原市に位置しますが、流神楽が基になっているようなので、こどもたちの舞でありながら八幡舞を演じるというので特に取り上げてみましたが、これはやはり現在登米地方に多く流布する舞型になっています。

IMG_8470_20171108210345026.jpg

瀬峰神楽での八幡舞は、「扇の舞」「弓の舞」「神上げ」の順に舞われるが、子どもたちには「扇の舞」だけ上演のために指導しているというこです。
いつか大人の八幡舞を見てみたいと思います。


IMG_8473.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.11.08 |

2017.11.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

宮野神楽 御所の五郎丸陣屋巡りの場@ これはりの里神楽伝承まつり

さて本日は宮野神楽さんの 御所の五郎丸陣屋巡りの場についてですが、
その前に、宮野神楽さんの由来について

「昭和53年より地元城生野神楽の師匠熊谷勤氏の指導により南部神楽修得した会員に新会員を加え平成9年に郷土芸能の保存普及を目的として結成した団体です。」
保持する演目は一の谷、曽我兄弟、安倍保名等となっています。
現在の代表は佐藤久義さんです。




演目は曽我兄弟が父親の仇である工藤祐経が源頼朝が行う富士の巻狩りに出るということを聞きつけ、その陣屋に入り込むものの途方にくれていたところで御所の五郎丸と出会う場面から始まります。

御所の五郎丸

IMG_8449.jpg

曽我十郎祐成、曽我五郎時致の兄弟

IMG_8455.jpg

兄弟二人は頼朝家臣等に知られてはと偽名を使い陣中に潜り込みましたが、御所の五郎丸は曽我兄弟と察知します。

そこへ三の木戸を守る宮形八郎重久に検分されますが五郎丸のはからいによって通過します

IMG_8461.jpg


そして、五郎丸は兄弟に仇敵の工藤祐経の寝所とその紋所を教えます。

IMG_8464.jpg

晴れて仇討ちを遂げる見通しがたち、感謝の意を表す曽我兄弟でした。

IMG_8466.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.11.07 |

2017.11.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

城生野神楽 伊治城物語 @ これはりの里神楽伝承まつり

さて本日からは、10月29日に栗原市築館の旧富野小学校体育館にて開催された「これはりの里神楽伝承まつり」の模様をリポートしていきます。

最初ですがこの日最後に上演された城生野神楽によります伊治城物語(宝亀春の夜嵐)です。

その前に、城生野神楽さんの由来について定本より

「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」

とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。



さて、この日上演された伊治城物語という演目は、栗原市出身で鎌倉市在住の神楽研究科佐藤正行氏が神楽台本を起稿した創作神楽です。平成7年に上梓された神楽台本ですが、これを上演するのは今回が最初ということです。物語の背景などを神楽衆が研究し、さらに今後のために城生野の地域理解を深めるためにも分かり易い神楽をということで大変なご苦労の末の上演ということでした。

城生野神楽の地元には伊治城の史跡があり、伊治公呰麻呂(これはるのきみあざまろ)が統治していたという伝承があります。

この演目の内容は多少込み入ってますので、当日プログラムから転載します。

伊治公呰麻呂は宮城県北・栗原地方の蝦夷の族長であったが、大和朝廷が置いた多賀城の出先機関である伊治城の大領(長宮)として領内を治めていた。
しかしながら、北方の民が大和朝廷に従わなかったために、時の政権は陸奥守鎮守府将軍紀広純(きのひろずみ)を派遣し、その前線基地として「覚べつ城」造営を計画し、その築城を陸奥国按察使の紀広純に命ずる。

その頃、同じ俘囚出身である牡鹿郡大領の道嶋大盾は、夷俘の出であるとして呰麻呂を見下し侮ったため、呰麻呂は内心深く恨んでいた。

IMG_8633.jpg

宝亀11年3月22日、鎮守府将軍紀広純と道嶋大楯らが兵士2000人を率いて、胆沢の蝦夷勢力への進撃の前線基地として覚鱉城(かくべつじょう)築城の準備のために伊治城に入ってきた。

その頃、呰麻呂の元に妻の鹿島姫と伊治鷹麻呂が来て、民人の積年の恨みを晴らすべしとて刀を捧げます。

IMG_8636_20171105182935d68.jpg

都から紀広純が郎党を従えて伊治城に来ます。

IMG_8642.jpg

夜の祝宴となり、呰麻呂はこれを撃たんと計略をはかり、広純たちに酒食でもてなし酔い潰れさせます。

IMG_8646.jpg

そしてかねてより伏せておいた兵たちとともに紀広純たちを討ち取ります。

IMG_8661.jpg

この時、次官の大伴真綱の命は助け多賀城まで護送し、政権側に北進策を中止文を真綱に託し多賀城に火をかけた。
この呰麻呂の叛乱を契機として、夷俘囚の豪族などが各地で決起し大和政権に激しく抵抗し、いわゆる38年戦争に拡大していった。

と、この日の上演はここまでですが、実はこの神楽台本ではまだまだ先の話があるということでした。
佐藤正行先生の新作台本は見たことがありませんが、是非とも完結編まで城生野神楽さんに上演していただきたいと願うものです。

IMG_8667_20171105182943d8a.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.11.05 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -