2014.09.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

鶯沢神楽 弁慶安宅の関 @ 気仙沼市岩月復興公演

さて、本日は「南部神楽 気仙沼市岩月復興公演」から鶯澤神楽さんの弁慶安宅の関についてです。

その前達に鶯澤神楽さんの由来について

「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創股した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者盤成識習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」

ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。

さて、演目に入る前に、ここ気仙沼には実は義経ゆかりの伝説と寺社があります。

それは、皆鶴姫伝説です。
義経が鬼一法眼から多神通虎の巻物を奪い返そうと画策し、鬼一法眼の妹の皆鶴姫を籠絡して「宝蔵破り」の末に盗み出すことに成功します。
そのことを知った鬼一法眼は皆鶴姫を斬り殺し、うつろ舟に乗せて海に流したという。その舟が流れついたのが、気仙沼市松崎前浜の母体田海岸(現 一景島公園周辺)。夢のお告げでそれを知った義経は、姫の遺骨と観音像を見つけだし、手厚く葬ったのが観音寺である。
いまでは観音寺は気仙沼市本町に移り、皆鶴姫伝説とともに、義経が使っていた笈が伝えられ、境内には弁慶袈裟掛けの石も残っている。また気仙沼市内には、観音寺と母体田の高台に観音堂が建てられ、皆鶴姫の霊が祀られているということなそうです。

この日神楽を見に来ていた面瀬の方が「「家の実家にも義経ゆかりの所があります。」と言っていましたが、これのことだと思いました。

義経さんです。 舞手は神楽女子です。

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弁慶さんです。舞手も弁慶さんです。

DSC07823.jpg

安宅のクライマックスの勧進帳読み上げです。迫力あります。

DSC07848.jpg

そして、関守富樫の名ゼリフです。「判官殿に縄をかけるより、ここが武士の情けのかけどころ」

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動画でどうぞ。

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2014.09.02 |

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