和賀大乗神楽 舞台入り 神降し @ 第14回慶昌寺神楽公演
昨日の3月22日に北上市和賀町煤孫の慶昌寺にて第14回神楽公演がありました。
和賀大乗神楽が上演される催しですが、平成22年の公演以来、東日本大震災や先代の代表の死去などにより4年ぶりの再開となりました。
今回は、今まで取り上げていなかった演目や30年ぶりに演じる「蕨折」の上演もあり、大変注目される公演となりました。
当日のプログラムは次のとおりです。今日から順を追ってリポートいたします。
1、大乗の下
2、鐘巻
3、正足
4、蕨折
5、帝童
6、龍殿
7、榊舞
8、権現舞
和賀大乗神楽の由来については当日プログラムより
「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の高法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称ざその後、一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当萬法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更木,の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾、亀田正樹、現在の鈴木俊逸と続きます。現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽全33演目の内、半数以上の演目を所持しています。」
ということで、現在の代表は鈴木俊逸さんです。
この神楽幕は山伏神楽風の紺一色のものが使われる以前に掛けられていたと思われる法印神楽としての神楽幕です。
なんとなく南部神楽の幕のような感じですが、昔の法印神楽ではこのような神楽幕を使用していたのでしょうか。
同じ浜神楽でも岩手の黒森・鵜鳥などでも相通じるような感じもします。
祭壇に権現様が置かれています。
神楽の始まりに座揃いをして神降しを行うのは法印神楽との共通事項です。
本来は湯立てをしてからの神楽なのだと思いますが、とうの昔に省略されているようです。
もっとも、特別な神楽祭式である大乗会では二方向に鍔釜を据えて湯立てを行ったということなので、大乗神楽でも同じ形式を伝承しているということなのだと思います。
動画でどうぞ。
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