栗原神楽 勧進帳@ 第34回尾松地区神楽鑑賞会
今日は第34回尾松地区神楽鑑賞会からトリをつとめました栗原神楽さんの勧進帳です。
栗原神楽さんの由来については定本より
「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。
現在の代表者は今野久悦さんです。
さて、演目名ですが、鶯沢神楽の岸湊さんが源平物語から「安宅の関」を創作したのが始まりですが、栗原神楽さんはより一層歌舞伎に近い形で台本を作り直したようです。
ですのでその名も「勧進帳」と改めて、上演時間も50分を越える大作となりました。大変見応えがあります。
さて、兄頼朝に追われる身となった義経は山伏の姿に身を変えて奥州平泉へと弁慶他数名の郎党を引き連れて落ち延びることにしました。
弁慶さんです
加賀国の安宅の関に着くと関所の役人が怪しい山伏が来たと関守の富樫左衛門尉に告げます。
富樫が一行に疑いをかけて、東大寺勧進の旅ならば勧進帳を所持していようと問いかけます。
そこで勧進帳の嘘読みとなるのですが、栗原神楽さんは歌舞伎通りに全部読み上げました。
弁慶役の佐藤さんに敬意を表して勧進帳全文を掲載してみます。すごい記憶力です!
「大恩教主の秋の月は 涅槃の雲に隠れ 生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし
ここに中頃の帝おわします 御名を聖武皇帝と申し奉る
最愛の夫人に別れ 追慕やみ難く
涕泣眼に荒く 涙玉を貫く
思いを先路に翻し 上求菩提の為
廬舎那仏陀 建立したもう
然るに去んじ治承の頃 焼亡しおわんぬ
かかる霊場の絶えなん事を嘆き
俊乗坊重源 勅命被って 無常の観門に涙を落とし
上下の真俗を勧めて かの霊場を再建せんと諸国に勧進す
一紙半銭奉財の輩は 現世にては無比の楽を誇り
当来にては数千蓮華の上に座せん
帰命稽首 敬って白す」

そして、尚も疑いの晴れぬ富樫は弁慶に修験山伏の問をかけます。
いわゆる山伏問答ですが、こちらも歌舞伎の山伏問答そのままの熱演で、長いセリフが続きます。
というより、これだけ山伏に関することを言上できればまさに山伏修行を会得したと同じですね。
さらに、富樫の家来が山伏の従者に判官殿によく似たものがいると忠告するので富樫が顔を改めると、その疑いを晴らすため弁慶が義経を打ち据えます。

その心意気に打たれた富樫は義経一行を逃すことを決心します。
〽 ここで判官殿に縄を掛けるより、武士の情けの掛けどころ
名演技に場内は大拍手です。

無事に関を通り抜けた義経と弁慶ですが、源氏再興を思いながらも命を落とした家来衆に思いを馳せます。
大変見事な勧進帳でした。

動画でどうぞ。
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