2013.09.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

上亰鹿子踊り 2013 大槌稲荷神社 宵宮 

昨日に引き続いて今年の二渡神社の宵宮から、上亰鹿子踊りについてです。


由来については「大槌町の郷土芸能」」より

町内上亰地区に伝わる上亰鹿子踊りは、江戸時代元禄年間に伝えられたとされています。正確な記録がないため定かではないが、およそ300年前である。
さらに町内の他の地域に伝えられているいくつかの鹿子踊りが同系の踊りであり、年代も元禄の頃とされていることから、その時代に大槌地方に伝えられたものと考えられる。
釜石市栗林町の沢田地区にやはり300年程前、房州生まれの唯喜伝治という人がわらじをぬぎ若者衆に鹿子踊りを教えたと伝えられているが、鹿子踊りを別名、房州踊りともいうことから栗林町を中心に唯喜伝治氏により周辺の地域に伝えられたものと考えられその一つが上亰鹿子踊りである。

踊りの中で使われる唄の中に「武蔵野に月の入りベく…」とか「鹿島御浜の郡々すすき…」など関東地方の地名が出てくることからも、房州(現千葉県)方面より海を伝って来たのではないだろうか。
また鹿子踊りは仏の弔をすることから、もともと地域に伝えられていた念仏踊りと房州踊りが融合したものとも伝えられています。
現在に至る300年間には隆盛の頃もまた衰微の頃もあつた様ですが、先人や地域の人々の保存への熱意のおかげで絶えることなく現在に伝えられ、大槌稲荷神社、小鎚神社の例大祭の他、敬老会や運動会などの地域の行事などの時も踊られるようになつています。



とにかく、この日は照明不足な上に、ポンコツビデオカメラで撮影したため、動画はとっても暗くて見づらいです。しかし、明るい電灯などなかった時代の宵宮を彷彿させる情景と考えれば趣があると思います。
そう思いませんか?

IMG_0840.jpg

昨日もブログで書いたとおり、祭りの場の芸能は、第一義には神仏に捧げるものです。
かといって、民衆が見なくなっては存続そのものも危うくなるものです。
それは芸能を行うものの精神的後ろ盾(モチベーション)であったり、経済的基盤(おひねり、御花)であったりするのですから。
だから、仕丁が40人もつく神輿となれば、その運行にも多額の金銭がかかるのです。
その負担を誰がするのかという理屈抜きには祭りは存続できないのかもしれません。
市域社会とその経済基盤を失った時、「持続する社会」という視点で考えると、一時的ではない真の復興としての祭りの姿を求めていかなければならないのかもしれません。
道のりは遠いかもしれませんが、端緒は足元にあると私は思います。

IMG_0848.jpg


動画でどうぞ。

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2013.09.27 |

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