2013.09.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川東神楽 弁慶安宅の関 @北辰神社

本日は 奥州市衣川区の川東神楽さんの弁慶安宅の関についてです。

その前に、川東神楽さんの由来について定本より

「古くは、石畑神楽として組織されていたがその後全く消滅した。
大正14年、川内神楽の高橋栄助師匠の指導で、御神楽とくづしを習い、更に平泉町戸河内の菅原慶吉、川坂賢三郎の両師匠の指導により、川東神楽を組織し発表会を開催した。
戦後一時中断していたが、昭和48年先輩達の指導により復活し現在に至っている。
大正14年頃の庭元は小野寺滑内、戦後は千田信治、現在の庭元は千田精である。」

とありますが、現代の代表は千葉庄司さんです。

この日の出演は次のとおりです。(敬称略)

胴 千葉正司  鉦 千葉慶悦、千葉貞子、千葉悦子
弁慶 村上正 富樫 高橋正記
義経 三浦邦子 家来 高橋昭義

さて、演目の安宅の関ですが、私個人的に歌舞伎の演目の中で一番好きなのは勧進帳です。
要するに判官贔屓なのですが、さらにその判官に味方する富樫贔屓とでもいうものが日本人の中にあると思います。それは理不尽な身分処遇に置かれた民衆の怨嗟の裏返しでもあり、その心情を察して本懐を遂げることに手を差し伸べる人にこの上ない感謝と憧憬の念を抱いていることの証左であります。
だから、勧進帳の最後の場面、飛び六法で東国へ落ち延びて行く弁慶に、扇をかざして無事を祈る富樫に対して快哉の声援を送るのである。それは南部神楽の安宅の関でも同じことで、「無事に平泉にゆかれよ、大法師殿」という富樫のセリフに場内は万雷の拍手を送るのである。

・・・ということで、義経と弁慶
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安宅の関の役人から怪しい山伏一行が通るので検分願いたいと言われた関守富樫が登場する

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鎌倉殿よりの下知により関所越えを吟味するよう沙汰された富樫は東大寺再建の勧進という一行に対して、問答を投げかける。
それに対して弁慶は、空巻物の勧進帳を朗々と読み上げる。

DSC07885.jpg

南部神楽の場合、多くはこの後義経検分の場面に行くのであるが、川東神楽さんではきっちりと「山伏問答」が展開されます。

参考までに歌舞伎勧進帳での山伏問答の冒頭部分を掲載します

富樫 いかに候、勧進帳聴聞の上は、疑いはあるべからず、さりながら、事のついでに問い申さん。世に仏徒の姿さまざまあり。中にも山伏はいかめしき姿にて、仏門修行は訝しし、これにも謂れあるや如何に。
弁慶 おおその来由いと易し。それ修験の法といッぱ、所謂胎蔵金剛の両部を旨とし、嶮山悪所を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇を退治して、現世愛民の慈愍を垂れ、或いは難行苦行の功を積み、悪霊亡魂を成仏得脱させ、日月清明、天下泰平の祈祷修す。かるが故に、内には忍辱慈悲の徳を納め、表は降魔の相を顕し、悪鬼外道を威服せり。これ神仏の両部にして、百八の数珠に仏道の利益を顕す。

この後、延々と山伏の由来やら装束の意味などについて意地悪く詰問が続きます、がこれが面白いので現代まで台本の中に伝え続けられたことと思います。

DSC07894.jpg

で、さんざん弁慶が苦労して言い訳したにもかかわらず、富樫に顔検分されて「判官殿によく似たり」と言われてしまいます。(ここで歌舞伎ならば「顔ひとつで疑われるなどおのれが業の拙きなり」というところ)
為す術をなくした弁慶が「おめえが変な顔してっから疑われんだよ!」とばかりに義経を打ち据えます。

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義経主従の行く末を案じた富樫は「天晴れなるぞよ弁慶殿。彼も人なら我も人、我も武士なら彼も武士、情けは人の為ならずとか。
判官殿に縄を掛けるのは易けれど、武士の情けの掛けどころ」
ここで会場から掛け声と大拍手が起こります、泣かせどころですね。


DSC07913.jpg

動画でどうぞ。

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2013.09.17 |

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