2013.07.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

山の神獅子舞

一関市赤荻外山地区の天王祭の続きですが、いよいよ今回の取材目的の獅子舞といきます。

この日の外山の天王祭では神官が厨子を携えて札を授ける家が24軒あったが、その中でも新築や改築、年祝いの者がいる家では特別に希望して獅子舞を予約することになっている。
この日は6軒ほどあった。
橿原神社が所管する獅子舞を行う祭礼は萩荘・赤荻地区にいくつかあるが、最近は地区の公民館でのみ獅子舞をおこなうのが多くなってきたので、外山のように氏子の家で舞うのは、もはや貴重な例となってきている。
ちなみに祭礼の日取りは7月14日外山(山の神神社)、7月15日萩荘(三嶋神社)、7月21日達古袋(八幡神社)、7月22日赤荻となっている。

獅子舞を行う場合の様子については次のとおり。(写真の撮影場所は複数の家について並べています)

舞い込みは、他の地区と同様に縁側から入って縁側から出てくる。
これは、昔の農家の間取りを考えるとよくわかるが、農家の入り口から入ると神棚のある奥座敷に行くにはその家の囲炉裏端や茶の間を通り抜けていかねばならず、面倒なのと家人がちらかっている部屋を見られるのが憚れるからであろうと思います。それとともに、日頃人間が出入りする玄関は不浄な気が多くあるので、日当たりの良い清浄な縁側が神様の出入りに相応しいと考えられたのかもしれない。



神棚のある座敷に皆が整列し、神官が祝詞をあげる。獅子頭は太鼓の上に据えられる。

DSC04240_20130722221652.jpg

囃子は締太鼓のみである。(ここでは2台の太鼓を使っているが小さい方の太鼓は若手の練習のために一緒に叩いているもの)


DSC04269.jpg

ところで、この山の神獅子舞の由来であるが、詳しいことは誰もわからないということである。
別当宅に何か書物でもあるかと思い尋ねたが何もないということでした。
獅子頭は近年になって塗りなおしたとのことだが、獅子幕に奉納した方々の記名があり昭和47年とあったのでそれいぜんから行われていたと思われる。
また、舞の内容について師匠格の方に伺ったところ、獅子舞は昔からやっていたが、どうも型が崩れていて見栄えのしないものだったということで、平成元年に一念発起して隣の萩荘から習い直して簡略化した形にした。
また、本来は笛や鉦がつくのだが、こちらでは太鼓のみで行うことにした。

DSC04145.jpg

一関周辺にはいくつかの獅子舞があるが、多くは羽黒派修験が伝えたもので、宮城県北地方の延年からの流れを汲む獅子舞に比べて勇壮な振りが目立つ。
この獅子舞の流れが胆沢地方へどう伝播したのか、あるいは早池峰系に代表される獅子神楽の権現舞との棲み分けはどうだったのか、今後の探求していく課題となっている。

DSC04281_20130722221701.jpg

そしてお神酒開きは獅子舞を招いた家の饗応であるとともに、獅子(神)との共食と神霊の力にあやかろうとする願いが込められている。
この日、お神酒を酌み交わしながらの話題の中心は祭りの今昔と獅子舞の伝承の困難さであった。
今回は伝承を絶やすまいということで、次の担い手を参加させての執行となり、地区民あげての祭り伝承への熱意が感じられました。
外山地区は非常に結束が固い地域で、先の大震災で山の神神社の社殿や鳥居が大きく破損し、その修復に多大な経費がかかったが、わずか40戸からの奉賛金のみで賄われたというほどである。

DSC04159.jpg

明日は最後の宿での様子と神社への遷御の儀についてです。

動画でどうぞ。


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2013.07.22 |

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