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2024.02.29 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

宮手鹿踊@2024第60回紫波町郷土芸能祭

さて本日は、2024年2月18日に行なわれた第60回紫波町郷土芸能祭から宮手鹿踊です。

この日の芸能祭では、紫波町内で現在活動している鹿踊五団体が勢揃いした正に動く鹿踊図鑑といった様相で、各踊り組の特徴を比較観察することができました。

これら紫波町内の五団体は、鹿踊の系統が三つの系統に分けられている。

・徳田鹿踊(矢巾町)から伝承の春日流紫野鹿踊
・伊勢系統の二日町鹿踊
・耳取鹿踊(矢巾町)から伝承の宮手鹿踊、平沢鹿子踊り、四ツ堰鹿子踊り

ということで、本日は宮手鹿踊 由来について当日パンフレットより

「当保存会の歴史は、源義家が安倍貞任攻略のため、陣ヶ岡に立ち寄った際に一頭の大鹿が現れ、義家軍を道案内した。かくして戦いは勝利を収めることができ、その戦いの祝いの宴で将兵達が、鹿の様子を真似て踊ったのが始まりと伝えられています。その後盛衰の歴史が繰り返されましたが、明治29年に矢巾町の耳取りの踊りから伝授を受け、現在の宮手鹿踊が確立されたといわれております。
今回は平成4年に結成しました子供達と大人との合同の参加であります。蜂神社の祭典等で年4回ぐらい披露しております。」

ということです。



宮手鹿踊の由来については、盛岡紫波周辺の獅子踊りとの関係なども含めますと次のとおりです。
「徳田獅子踊りを始めとする周辺の踊り組で保持する「竜頭由来記」によると、平安時代末期に源頼朝に従軍して奥州に下向した南部光行が知行地に赴任する際に甲州の竜頭獅子を同行させて来た。
寛永11年(1634)盛岡城が完成した折に、祝賀の舞をしたのが記されてあり、その後藩内に帰農する下級武士たちが伝播させた。」
この由来記は、徳田、耳取、乙部手代森、紫野などにも伝えられている。
もっとも、異伝の太鼓系鹿踊とされる山岸獅子踊にも同様の由来記があり、こちらは盛岡八幡宮例祭の神輿渡御に供奉する獅子踊りとして重きをなしている。

獅子の構成は七頭立てで、大ジシ、狂ジシ、女ジシ、牡丹に唐ジシ、稲荷ジシ、孔雀ジシ、押ジシで、頭の角の間にそれぞれのタテモノがついている。
四角い顔に髭がついているので竜頭としている。
前幕には大きく二見ヶ浦に朝日が染め抜かれていて、伊勢のお祓い獅子との関連性も想起される。

20240218141626IMG_1146.jpg

踊りを差配するのは一八の役目で、さんさ踊りと同様に進行役を務める。

20240218141701IMG_1149.jpg

女獅子かくしでは、雄獅子と一八がからむシーンで、女獅子と雄獅子がともにオキ笛を吹いているのが印象的です。

20240218142816IMG_1173.jpg

動画でどうぞ


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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2024.02.29 |

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