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2023.03.25 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

古内神楽「小松の柵の合戦」@2023第35回一関民俗芸能祭

さて本日は、2023年3月12日に行なわれた第35回一関民俗芸能祭から古内神楽で小松の柵の合戦です。

その前に、古内神楽さんの由来については定本から

「古くは大久保の春日神社の奉納神楽として別堂三学院が法印神楽を奉納して来たと伝えられている。
弘化年代(一八四六)徳右エ門が宮元となり同村下黒沢神楽から南部神楽の指導を受け古内神楽を再興した。
法印神楽時代のものと思われる型の古い神楽面も多く保存されており、とくに天保12年(一八四一)の年号のある蛇面は、昭和五一年六月一関市の有形民俗文化財に指定された。
初代宮元徳右エ門、二代阿部専治、三代菅原栄三郎、四代菅原万次郎、五代阿部永治、六代阿部卯右エ門、七代阿部竹左エ門、八代阿部清喜、九代阿部考吾である。」ということです。現在の代表は千葉悦雄さんです。



さて、演目の小松の柵の合戦とは初耳です。
というのも、この演目は古内神楽の地元に伝わる古代の戦の史実をもとに神楽で広く伝えていこうと新たに台本をおこすところから始まったものということです。ということで、この日が初演ということになりました。

舞台は平安時代末期の永承6年(1051)~康平5年(1062)に東北地方の首魁であった安倍氏と朝廷側との戦の物語です。

最初に源頼義、源義家親子と、加担した出羽国清原武則がネリの調子で舞い出ます。

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小松の柵の合戦は、前九年の役で18日間に及ぶ激戦で、陸奥話記にも記されている。
地元の萩荘字谷起島付近に小松の柵の擬定地とされ、古内集落にはその戦死者を葬った五輪塚が残されている。

源頼義、源義家親子です

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地元の萩荘まちづくり協議会が発刊した昔話集「萩之庄昔あったずもな」に五輪塚の経緯が掲載されたことをきっかけに古内神楽の小野寺聖悦さんが「小松の柵の合戦」として神楽台本にしあげたということです。

安倍貞任、安倍宗任兄弟です

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小松の柵は、「南東に深流の碧譚を帯び、西北に壁立の青巌を追う」難攻不落の要害であった。
ここでの戦は18日間に及ぶも雌雄はつかず、肝胆は血に塗られ、人馬討ち死には数知れずという窮地となり、両軍いたみわけで停戦やむなしかと思われた。

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その時、朝廷側についていた清原武則の決死隊が尾花が森から回り込んで安倍軍の背後に躍り出て急襲する。

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不意をつかれた安倍軍は小松の柵を諦め、態勢立て直しのため衣川の柵に北行する。
朝廷軍は討ち死にした人々を手厚く葬り「五輪塚」を建立することを誓った。

という訳です。

今までの南部神楽で安倍氏を題材にしたのは衣川の「一首坂」くらいではなかろうか。
今回の古内神楽さんの取り組みに称賛するとともに、史実として描かれている古代東北のドキュメントをもっと取り上げていいのではないか。

20230312153408IMG_4169.jpg

動画でどうぞ


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2023.03.25 |

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