登米地方のおいとこ踊・甚句@2023第16回登米市民俗芸能大会
さて本日は、2023年2月12日に行なわれた第16回登米市民俗芸能大会から手踊りの芸能をまとめました。
巻おいとこ踊、森邑おいとこ踊そして嵯峨立甚句です。
おいとこ踊りは千葉県下総地方が発祥地と言われ、江戸時代に伊達藩から印旛沼の干拓工事に稼ぎに行った農民が見て覚え、故郷に帰って広めたもののようです。今では宮城、岩手、山形、秋田に伝承され踊り継がれている。
一説によると、器量よしで評判の白桝村の粉屋の娘、お小夜に一目惚れした若い僧侶が修行の後に粉屋に寄ってみると娘は亡くなっていたもので、これを憐れみ追慕した歌を作って供養としたという。それが広まり、踊りもつけられて盆の踊りなどになったという。下総地方では白枡粉屋おどりとして親しまれ、千葉県指定無形民俗文化財となっている。
ということで、巻おいとこ踊については次のとおり
「江戸時代末期に中田町浅水長谷山に伝えられた踊りの一つで、明治10年頃に長谷山から巻へ婿養子に入った佐々木吉兵衛が伝えたもので、その後、大正時代に長谷山 から千葉寛蔵を師匠に招き「おいとこ」「願人」 「甚句」などを習い覚え、祝宴の席などに演じてきた。 戦前まで盛んに演じられたこの踊りも、戦後の高度経済成長による社会情勢の急激な変化に伴い、次第に忘れ去られてしまった。 平成の世となり「おいとこ踊」を復活させようという気運がたかまり、 平成2年(1990) に地元有志が集まり女性を中心に練習を積み 「巻おいとこ踊」として復活した。平成4年(1992)には保存会も設立され、 「浅水コミュニティまつり」 や 「なかだの秋まつり」などに出演し現在に至っている。」
次に森邑おいとこ踊について
「森邑おいとこ踊は、明治初め、迫町森南平の「飯塚志を」という女性が絶妙な振りを付け、これに唄上手の佐藤兵之助が加わり座敷踊りとして定着。 この踊りは、地元の青年たちに伝えられ、次第に近隣に広まり、現在、結婚披露や祝いごとの席には欠かせない座興として演じられている。
平成3年(1991) には子どもたちを生かした地域づくりと活性化を目的に「おいとこ踊り宮城県大会」を 森上行寺境内で開催、 平成4年(1992) から 「伊達なおいとこ踊り宮城大会」に名称変更し、第3回大会か らは森公民館に会場を移し11月上旬~中旬に開催、保存会を中心に運営している。この大会には市内はもとより栗原市や岩手県一関市などからの出場がある。 平成4年3月、 「おいとこ踊り」 発祥地とされる千葉県山武郡芝山町を訪問、ルーツ探しの調査を兼ね「白桝粉屋踊り保存会」 との交流を果たした。」
最後に嵯峨立甚句について
「甚句は、五百年前から農作業唄として地域の人々に親しまれてきたもので、古く元唄としたものと言われ、二百年前の文化年間(1804~1818)には、現在の「嵯峨立甚句」としてその定着を見ている。 素朴な中にも哀調を秘めた歌詞と曲調をもつ甚句唄は、民謡研究家の等しく認めるところであり、唄に連れて踊られる優雅な振りは、一番から五番まで異なっているところから大変珍しい踊りとされる。 昭和54年(1979)、全国民踊連盟指導種目に選ばれている。 「嵯峨立甚句」 は、 民放各社のテレビ出演は もとより、全国各地で開催される大会に出場するなど、 宮城県内の民舞としては、 栗原市栗駒の「文字甚句」 と並び称されている。」というものです。
伝承歌詞は次のとおり
一番 唄いなされや 声張りあげて 唄は仕事のホンにはずみもの
二番 お度に聞こえし嵯峨立薪は 広い世間でホンに飯となる
三番 花の三月 十九日の祭り 錦飾りて ホンに駒勇む
四番 嵯峨立娘は 愛嬌もよいが 山に住むせいか ホンに声もよい
五番 たとえ細くも 煙をたてて 同じかまどでホンに暮らしたい」
動画でどうぞ
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