南日詰太神楽「獅子舞、大黒舞、萬歳」@2022櫻山神社例大祭奉納
さて本日は、2022年6月4日に行なわれた櫻山神社例大祭奉納から南日詰太神楽で獅子舞、大黒舞、萬歳です。
南日詰太神楽の由来について「岩手の民俗芸能」(昭和57年刊行)より
「平泉藤原氏の亡びた後の頃、上方から慰問にと七軒町なる一団が盛岡に来た。 これは大神楽の事であるが、 津志田の七軒町に住んだ が為にこの名がつけられたという。
南部公が稗貫八重畑関口の北家 (分家)に行く途中、新堀六角の庄屋佐藤秀右ェ門忠兼なる人の所に休泊された折に教え残したのが、 大神楽であり、後に至って舞の手振りに工夫を加えて六角流大神楽と称 した。もともと武士階級の舞であった為かいかめしく荘厳な踊りである。この伝承を受けたのが南日詰の人達であった。明治の中頃から京田の高橋孫十郎氏等が先達となり復活を図り現在に至った。」
南日詰に伝えられたのは明治20年代と思われ、座元に保存されている幕には、明治24年、新堀から贈られた。
大神楽読本には明治27年と記されている。現在の組は、昭和48年に、高橋憲治郎氏、高橋正喜氏等の指導によって結成された。
七軒丁というのは、「甲斐国から南部氏下向の際に馬の口取りをしていた御駒太夫がお国中小芝居以下の見世物等の支配を被り」(内史略(3))とあるとおり、御駒太夫加藤京助の配下が江戸に出て諸芸を会得して帰り、盛岡城下で芸能を広げた集団のことである。
藩政期の七軒丁の芸能について「御駒太夫京吉家古文」によれば、「御駒乗り」「春田打ち」「萬歳」「田植」「太神楽」「御獅子舞」等があり、他には三番叟や十二番の狂言などもあった。
萬歳には「神力萬歳」「三河五萬歳」「大峯萬歳」などもあったという。
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