富沢神楽「屋島合戦 忠信、兄継信尋ねの場」@2022金成延年閣南部神楽公演
さて本日は、2022年3月20日に行なわれた金成延年閣南部神楽公演から富沢神楽で屋島合戦 忠信、兄継信尋ねの場です。
その前に富沢神楽の由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
源氏の大将源義経に対し,弓をとっては日本一と言われた平家の武将, 能登守教経との大将同士の戦いとなった。
義経公の臣武名高き佐藤三郎継信と四郎兵衛忠信の兄弟が加勢し,継信は能登守の矢先に立って奮戦するが,管矢に胸を射通され瀕死の重傷 を負う。
弟の忠信は兄の仇敵,能登守教経と戦い残念ながら能登守に逃げられ 仇敵を討てず,忠信が陣屋に戻ると,義経公は自分の身代わりとなった 継信の姿が見えず忠信に探しに行くよう命ずる。
忠信は,御君様の命に従い探しに行くが,乱れ戦のこと,死体や重傷を負った兵がたくさんおり,また周囲は暗間にて見えない中を,刀を杖 にして捜し回る。
〽 兄を捜せども 聞こえるのは沖で鳴く千鳥の声ばかり
忠信の声に応えて微かに名を呼ぶ手負いの継信
,ようやく兄を捜し当て対面した。
負傷した兄継信は我が息があるうちに義経公に会いたいと言い,忠信は兄を抱き上げ背負いながら,義経公の待つ高松の陣屋に急ぐ場面です。
動画でどうぞ
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