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2021.10.28 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

高江柄念仏剣舞@2009第19回 大ヶ生金山の里縄文祭り

さて、本日は2009年10月11日に行なわれた第19回 大ヶ生金山の里縄文祭りから高江柄念仏剣舞です。

高江柄念仏剣舞の由来については、増補版盛岡の民俗芸能」(2010年)より

「高江柄念仏剣舞には「踊り巻物」と「大笠巻物」の2巻が伝承され、それによると天徳3年(959)に当地の外倉佐平次に伝わり、亨保の頃に鳥屋敷又右衛門、佐々木源助、横屋万太等が中心になって、この踊りのもとをつくったと記されている。
その後明治前期に中断したが、明治42年(1910)に百目木忠吉によって再興され、大ケ生高江柄の有志によって受け継がれてきた。」とあります。



廻り胴に特徴があり、一つの胴太鼓に対して二人の跳ね胴が打ち、胴が二つの時は四人が打つ。
静かな打ち方から段々と早調子になり、太鼓の廻りをめぐりながら曲打ちをするのが秀逸。
最初は子どもたちの廻り胴

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続いて若者たちの廻り胴。
太鼓を飾り打ちしながら跳ねまわるので、非常に華やかに見える。まさに大念仏の様相である。
この日は6人で打ったが、2013年の岩手の民俗芸能祭の時には七つ胴を14人で打っていたので壮観だった。

岩手の民俗芸能祭での記事はこちら ⇒ 高江柄念佛剣舞

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さて、こちらの念仏剣舞では大笠がついているが、それにはこういう由来があるという。
「大笠には南部家の向鶴紋がついているが、これは寛文年間に藩主利直の内室が没した時、その霊魂供養のため五重塔を作り大念佛を執行した盛岡三戸町の念仏太夫金兵衛なるものに下賜された。その後、高江柄の勝文子家から盛岡城下本町の吉田家へ婿養子入りした与え惣治によって五階の念仏笠、太鼓等とともに勝文子家にもたらされた」

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踊りの最後は扇踊りで、踊り手一同が扇を手にし、囃子が急調子になると向かい合って跳ねたり、入れ違いをして踊る。
その間、ナンマイダの念仏がかかり、遠声(ホー)にて納めとなる。

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動画でどうぞ


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2021.10.28 |

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