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2021.08.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

煤孫ひな子剣舞@2021慶昌寺盆供養奉納

さて本日は、北上市和賀町煤孫の慶昌寺にて煤孫ひな子剣舞が盆供養奉納するというので行ってまいりました。
慶昌寺での奉納は、10年ほど前に復活させたが、昨年はコロナ禍で見送った。今年は北上民俗芸能祭も中止となったので、この奉納だけは行うということになったようです。

煤孫ひな子剣舞の由来について「北上民俗芸能総覧」より

「明治以前の来歴不明。神光(彗可)と和賀地方に広く流布する慈覚大師伝説が伝えられる。
嘉祥3年(850)慈覚大師が煤孫の馬頭観世音を駒ケ岳に移したとき、この地方に広めたという由来伝説がある。
明治以降の古記録によると、江戸後期から現在まで継続の中通り契約会で田植踊とともに伝承してきた。
大正5年頃、昭和25年に中興があったらしく、現在は広く上演されている。
8月16日慶昌寺での精霊供養(夏剣舞)と9月9日の古館神社例祭奉納(秋剣舞)をする。
昭和30年頃よりは契約会から煤孫ひな子剣舞保存会として伝承活動を継続している」
ということです。



北上市には大きく分けて3つの形態の剣舞が伝承されています。

一つは、北上川東岸の門岡・立花周辺に伝わる羽根采をつけた阿修羅踊りの剣舞。
もう一つは、岩崎を濫觴とする風流化した念仏剣舞で、明治後半以降に勃興した鬼剣舞。
そして、盛岡周辺の大念仏の要素を持った雛子剣舞です。
この雛子剣舞は、この和賀の煤孫ひな子剣舞と、藤根の道地ひな子剣舞、それと飯豊雛子剣舞があります。

煤孫ひな子剣舞の構成は、囃子(オカド)は、太鼓、笛、鉦、簓で奏され、踊りは坊子(男子2~4名)と踊り子(女子8~14人)、それと跳ね胴を打つ年長の女子4~6名という構成になっている。
衣装の背中に結付けた四角い布はケサ(袈裟)と呼ばれるもので、採物は坊主がツチ、踊り子は刀、錫杖と呼ぶ花を付けた唐団扇を持つ。
演目は ①坊主、②入羽、③六十三拍子、④六十三拍子引羽、⑤十七拍子、⑥四十五拍子、⑦五十五拍子、⑧四十九拍子、⑨忘れ節、⑩引き羽、⑪讃の十一種目。昭和16年ごろまでは④のように引羽がついていた。
また、跳ね胴は②から⑨まで踊る。
踊りの順は、通り囃子、讃(回向)、振り込み、坊主、入羽、本舞、引羽で一振り終わる。
踊り済むと坊子が周りを踊って終わる。

IMG_859920210815112640.jpg

坊子が手にするのはツボケ(ツチ)で、踊り手は禅僧慧可が断臂(片腕)で修行したことに因んで、必ず左手は使わない仕来りになっているという。

IMG_860620210815113036.jpg

輪踊りが終わると、太鼓の打ち手が大人から少女に代わり、跳ね胴になる。
これはまさに大念仏の廻り胴と同じで、岩手の民俗芸能念仏踊編によれば、「紫波町の赤石田植踊の老師匠は、雛子剣舞の拍子は念仏剣舞(大念仏剣舞)のマワリ胴と同じだといっていた」とあります。

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さて、煤孫ひな子剣舞が終わった後で、慶昌寺住職の挨拶があり、今日は8月15日の終戦記念日でもあるので、戦没者への鎮魂と世界平和への願いを込めた「平和の鐘」を参会者の皆さんで撞くようにとの呼びかけがありました。
奇しくも今日は終戦記念日。コロナ禍で忘れがちですがもう二度と過ちを繰り返さないためにも語り継ぐことが大切だと思いました。

IMG_861320210815114002.jpg

動画でどうぞ


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2021.08.15 |

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