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2021.02.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

和賀大乗神楽「蕨折」@2014第20回大乗神楽大会

さて本日は、2014年6月8日に行なわれた第20回大乗神楽大会から和賀大乗神楽で蕨折です。

和賀大乗神楽の由来について

「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の高法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称ざその後、一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当萬法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更木,の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾、亀田正樹、現在の鈴木俊逸と続きます。現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽全33演目の内、半数以上の演目を所持しています。」

ということで、現在の代表は鈴木俊逸さんです。



蕨折の内容は、年老いた両親に孝行娘が山へ蕨採りに出かけるが帰り道で春先の増水した川を渡ることができず、川辺に居た翁に一夜妻となることを条件に船渡しを頼む。がしかし、川を渡り終えると3日の暇乞いをして戻っては来なかった。
一人嘆いている翁の前を樵が通りかかり、翁が娘の行方を尋ねたところ樵は「その娘なら都で玉の輿に乗って暮している、それゆえ翁に問われたら縁がなかったと諦め下さいと言付けを頼まれた」と答えます。
哀れ悲嘆にくれた翁は「それが真の話でなかったら悪鬼に化けて樵を憑き殺す」といって化身します。

この話は実に二重構造になっていて、娘に懸想する翁の執着物と悪鬼になって己の身の上を嘆く夢幻能の形をもとっている。

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南部神楽ではこの演目の題名は税王あるいは勢王と付けられていて、ここの大乗神楽では是老と記されているが、これは翁の「尉」からきていると思われる。

この演目は本田安次著「山伏神楽・番楽」によれば、「即ちこの戯曲が粉本とした説話は、かの能狂言の「枕物狂」に「柿の本の紀僧正は、染殿の后を戀いかね、加茂の御手洗川に身を投げて、青き鬼となり給う」であり、それともう一段古いものによったらしく、今昔物語巻第二十、第七「染殿后為天狗披繞乱語」に出てるように思う」
とあり、古典から様々な芸能に取り入れられたと比定している。

神楽においても、山伏神楽・番楽そして南部神楽でも上演されているほど人気の高い演目であったということである。

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そして何よりも、蕨折の人気を絶大なものにしている理由は、この間の狂言である。

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道化役の樵(根っこ切り)と胴取との軽妙なやりとりが面白可笑しく、まさに道化神楽の真骨頂といえる。

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さて、そんなうちに翁が途方に暮れて幕に入ると、悪鬼に化身して再び現れる。
道化は道者となって悪鬼を折伏し、印を結んで幕に入る。

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2021.02.15 |

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