六原鬼剣舞「一番庭」@2021金ケ崎要害鬼祭
さて本日は、2021年1月31日に開催された金ケ崎要害鬼祭から六原鬼剣舞で一番庭です。
このイベントは金ケ崎芸術大学校の芸術活動の一環として開催されたものとのことです。
金ヶ崎芸術大学校について公式HPより転載
「かつての仙台藩の要害跡が残る岩手県胆沢郡金ケ崎町。北上川と胆沢川の流れが削りだした台地の上に静かにたたずむ近世の武家屋敷の町並みは国の重要伝統的建造物群に保存されています。小路に連なる生け垣やエグネ(屋敷林)ごしに見える大屋根など、人々の暮らしとともに受け継がれてきたこの場所に、江戸時代末期に建てられたとされる「旧菅原家侍住宅」があります。樹齢200年とも言われるサルスベリが特徴的な家です。2018年より、この物件を「金ケ崎芸術大学校」として活用する新しいプロジェクトが始まりました。
ここでは金ケ崎町に暮らす人々との協働のもと、この場所ならではの創造的な日常をつくりあげていくことを目指しています。農業や造園、料理など日々の生活を見つめ直し、そこに創造的な営みを見出していくことを試みてきました。一連の実践の道しるべとなるのは、岩手県出身の詩人である宮沢賢治が花巻に設立した「羅須地人協会」です。農村の生活改善と「農民藝術」の拠点として構想されたこの場所の理念を現代の金ケ崎に置き換えた時、そこにはどのような空間が生み出されるのでしょうか。幸いにも金ケ崎の武家屋敷は「半農半士」の構造を持っていたため、敷地内にはちょうどよい畑が残っています。そのような「裏の畑」も存分に活用しながらそれぞれの季節に応じた「時間」を積み重ねていくことで、この場所の使い方を実験する毎日です。」
ということです。
この度節分を前にして1月30日、31日に金ケ崎町西根表小路のj旧菅原家侍住宅を会場に鬼にまつわる様々なイベントが開催されたというものです。そしてフィナーレで六原鬼剣舞が演舞をした次第です。
ということで、六原鬼剣舞の由来について
「鬼剣舞の起原は約1300年前にさかのぼります。大宝年間(701~ 704)山伏・役行者(えんのぎょうじゃ)が天下泰平、五穀豊穣、万民繁栄を願うて舞った、念仏踊りが始まりとされ、その後、戦の出陣・凱旋の際に踊られたのが広く世に伝わったと言われています。いかめしい面を付けて踊ることから一般に「鬼剣舞」と呼ばれていますが、鬼ではなく仏の化身であり、面には角がありません。面の色に1ま白。青。赤・黒の四色があり、明王や方位を表しています。
六原鬼剣舞は、大正年間に胆沢郡相去村六原の上ノ町、二ノ町を中心に結束して、大正7年に岩崎鬼剣舞の小田島善吉及び八重樫源吉の指導により成立したとあり、更に昭和15年に町指定の文化財となった。
ニッ森稲荷神社祭典や冠婚葬祭、北上市みちのく芸能祭りでの公演、国内各地また、ニユーヨーク公演も行ってきております。」
とあります。
六原鬼剣舞では、継承者育成にも力を入れていて、毎年子どもたちの活躍が見られます。
この日も大人たちに混じって堂々とした舞を見せてくれました。
動画でどうぞ
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