皆白行山流三ヶ尻鹿踊「礼庭」@2020三ヶ尻日吉神社例祭
さて本日は、三ヶ尻日吉神社例祭から皆白行山流三ヶ尻鹿踊で礼庭です。
その前に三ヶ尻鹿踊の由来について、
「慶安2年7月に、駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山の踊りを小川利春に、流行山の踊りを青田利久に、そして源行山の踊りを石亀利具に伝授した。
その後、元禄初期に仙台領本吉郡水戸部村の伊藤伴内持遠が行山流を広く伝授し、その弟子・入谷村の四郎兵衛から登米郡中田町の治三郎に伝授され、以後、上胆沢郡上野村徳岡-上胆沢郡佐野村、そして七代目の師匠である胆沢郡八幡村(水沢区佐倉河)の万之助によって文政9年に三ケ尻田中屋敷の卯兵衛に伝授された。」
とあります。
そもそも、行山流でありながら「皆白」という名称がついているのは何故かということ。
これについては「皆白仰参躍由来之巻」にこう記されているという
元祖四郎兵衛、先年御上様へ召し出され候ことは・・・中略・・・
寶歴元年七月に御赦免つかまつって御国に帰って藩内に指南し人数取り揃え躍り十六日に
「御上欄に入れ奉り候ところ、まずもって幕の紋 夕顔の花を付け候かと。
御上様よりお尋ね遊ばされる所、夕顔の花つけ候段申し上げ候らえばこれよりは九曜星皆白につけ候、今後代々皆白仰山一流稽古に励み 云々」
とある。つまり、九曜紋は並べて白くすべしということだが、その真意は不明である。
中立の流しには五穀成就と記されていて、豊年踊りの意義も機能として持ち合わせている。
保持する演目には、礼舞として先庭と後庭があり、その後に雌獅子隠しや案山子踊りの役踊りが続く。
先庭の見所は、中立の所作にササラの間に角を入れて踊る「角入れ」と、千鳥足で交互に足の裏を返して踏む「錣の舞」がある等であるということです。
が、この日の中立の一人舞でちょっとしたアクシデントがありました。それでも何事もなかったようにサラリと返すのが熟練の技といえます。
鹿踊に対してご祝儀があがったので、その返礼として儀礼的な唄を掛けます。これを投げ草と呼ぶところもあり、往時は上げられた物によって即興的に誉め唄を掛けるのが鹿踊組の技量とされていました。
ところで、三ヶ尻鹿踊さんはこの日、午後1時頃に日枝神社をスタートして地元三ヶ尻を門かけして歩いたということです。
動画でどうぞ
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