宮手子供鹿踊 in あらえびす2020
さて本日は、9月19日に紫波町野村胡堂あらえびす記念館で開催されたイベント、キッズフェスティバル2020に出演した宮手鹿踊についてです。正確には宮手子供鹿踊です。
宮手鹿踊を見たのは2004年8月の蜂神社奉納採訪以来です。
下の画像は当時境内で踊った様子です。懐かしい風景です。
さて、宮手鹿踊の由来については、盛岡紫波周辺の獅子踊りとの関係なども含めますと次のとおりです。
「徳田獅子踊りを始めとする周辺の踊り組で保持する「竜頭由来記」によると、平安時代末期に源頼朝に従軍して奥州に下向した南部光行が知行地に赴任する際に甲州の竜頭獅子を同行させて来た。
寛永11年(1634)盛岡城が完成した折に、祝賀の舞をしたのが記されてあり、その後藩内に帰農する下級武士たちが伝播させた。」
この由来記は、徳田、耳取、乙部手代森、紫野などにも伝えられている。
もっとも、異伝の太鼓系鹿踊とされる山岸獅子踊にも同様の由来記があり、こちらは盛岡八幡宮例祭の神輿渡御に供奉する獅子踊りとして重きをなしている。
獅子の構成は七頭立てで、大ジシ、狂ジシ、女ジシ、牡丹に唐ジシ、稲荷ジシ、孔雀ジシ、押ジシで、頭の角の間にそれぞれのタテモノがついている。
四角い顔に髭がついているので竜頭としている。
前幕には大きく二見ヶ浦に朝日が染め抜かれていて、伊勢のお祓い獅子との関連性も想起される。
頭の後ろにはドロノキのカンナガラが長く垂れて、腰差しは白い切り紙の橋を薄赤く染めているのが特徴。
踊りを差配するのは一八の役目で、さんさ踊りと同様に進行役を務める。
子供鹿踊なので一八さんもめんこい小学生でした。
宮手鹿踊の由来については、保存会には次のような別の伝承があるようです。
「源頼義・義家父子によって行われた、前九年の役のある時に、安部貞任攻略の折に宮手の森陣ヶ岡に陣営を構え、将兵をさせた時に一頭の大鹿が現れ、将軍達の道案内をした。かくて戦いは勝利を収める事ができ、その戦いの祝いの宴で将兵達が、その時の鹿の様子をまねて踊り楽しんだ。それが後世に伝わり宮手鹿踊りとなったと伝えられています。その後盛衰の歴史が繰り返されましたが、明治29年に矢巾町耳取の、鹿踊から伝承を受け現在の宮手鹿踊が確立されたといわれております。」
この日は女獅子かくしも上演されました。
女獅子をめぐって雄獅子と一八がからむシーンでは、女獅子と雄獅子がともにオキ笛を吹いているのが印象的です。
そして、子供鹿踊については次のような経緯があったということです。
「平成8年7月100周年を迎え記念式典を実施したところであります。平成4年に地区内の子供達9人で始めたのが、現在の子供鹿踊です。当初幕は、風呂敷、面はボール紙の手作りで、主に土曜日に一生懸命練習しました。紫波町教育委員会のご指導及び財団法人岩手県文化財愛護協会より補助金を頂き、平成6年に幕・面・太鼓など一式を揃えることができました。以来、宮手蜂神社の祭典を始め、町の芸能祭、などいろんなところで踊って参りました。」
宮手鹿踊さんは、この日の他にも9月27日にはラ・フランス温泉でも上演したということです。
コロナ禍の中で子どもたちを出演させることに、保存会はじめ保護者の皆さんの深慮を察します。改めてその思いに敬意を表します。
動画でどうぞ
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