陸前高田市 月山神社
一昨日の日曜日に陸前高田市の月山神社で本吉太々法印神楽が奉納されるいうことで出かけた。
夜神楽が始まるまで時間があったので社務所にお邪魔して話を伺ったので、本日はその内容について書いてみる。
従って、肝心の神楽については明日以降に掲載いたします。
まづは、月山神社について由来を「岩手県神道青年会HP」より引用
正治二年(1200)、出羽国飽海郡月山神社より、荒木出雲の先祖月光院なる者により、当地に遷座される。
天明六年(1786)、羽黒山より月読神社分霊を証明する申渡書を交付され、以来、神霊の稜威とともに、長部村の総鎮守となる。
仙台藩主の敬神篤く、毎年七月十七日の大祭には幣帛が供進される、嘉例があった。
享保年間(1716~1739)伊達吉村公が封内巡視の途中、当社境内の桜の木にて憩い、国風一首を詠む。
寛永年中(1624~1644)検地書に、当社境内並びに西北の地を月山と記される。これにより、長部村開発よりの古社であるとが伺える。
明治五年(1872)江刺県治中長部村の村社となる。同8年(1875)町村合併により無格社となるが、氏子崇敬者の敬神の念厚く、大正13年(1924)再び村社となる。
昭和49年(1974)伊勢の神宮より御遷宮後の古材の譲渡を受けて、本殿を造営し、併せて、弊殿、参集殿、社務所を建設する大造営を行った。
近年では、神道墓地を造成して、氏子・崇敬者に提供している。

以下は当社禰宜の荒木真幸氏に伺った内容を参考に記す。(荒木氏は広田の黒崎神社、気仙町の今泉天満宮の宮司さんも務めておられます)
月山神社の建つこの地は北緯39度に位置し、真西に行くと山形県の鳥海山麓にある吹浦の大物忌神社がある。
そこの祭祀で太鼓を打つ役目をしていたのが荒木氏の祖先ということだ。
その後、月山(つきやま)神社の勧請をしながら雄勝・栗駒・平泉・室根と東へ辿り、太平洋岸の気仙の地にたどり着いたのでは。従って、神楽も鳥海山でのものから直接伝わったとのこと。
法印神楽については相当古くからあるが、現在の形になったのは五代前の荒木けんご時代に大沢の賀茂神社宮司と月山神社とで始めたとのこと。
以来盛衰があったが、伝承をしっかりとやろうということで気仙沼・本吉地方の神社仲間?で修成会を結成して、平貝の八雲神社の神職の指導を得て、神官(旧修験者の末裔)だけで修練・奉納上演を行う本吉代々神楽を結成し今日に続いている。
この、近在の法印だけで神楽組を構成し、互いの神社の例祭に奉納する「ヨエトリ神楽」は現在では非常に貴重な古い形を残したものとなっている。

伝える演目としては初矢、両矢、三天、岩戸開き、五矢、日本武、釣弓、魔王退治、二の矢、所望分、叢雲、蛭児の12番となっている。
舞の特徴としては「かいな(腕)指し」「乱聲」「翁の寅踏み」などにあるという。
神楽舞台は可搬式の掛け舞台で二間四方。舞台の周囲に萱の葉で作った「八重垣」を回していたが手数がかかるということで今年から梯子状の欄干を作成して代用し、正面にのみ御幣を立てている。
秋の例祭の宵宮は仲秋の名月(旧8月15日)におこなっている。
本吉代々法印神楽HPを参照ください。⇒http://houinkagura.kitanojinjya.jp/

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