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2020.07.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

川西念仏剣舞「入剣舞」@2009岩手県民俗芸能大会 ~剣舞で綴る浄土の世界~

さて本日からは、平成21年7月12日に大船渡市リアスホールにて開催されました第62回岩手郷土芸能祭についてです。
この年は「剣舞で綴る浄土の世界」というテーマのもとに県内各地に伝承される様々な芸態をもった剣舞団体が集結して、その相違を比較鑑賞できる場ともなりました。

念仏踊りをルーツとする念仏剣舞は、岩手県内では旧南部藩領内に分布する大念仏系と、旧伊達藩領内に多く伝承される阿修羅踊りに大別されます。
前者は主に衆生済度の供養を踊りの主題とする一方で、後者の阿修羅踊りは鬼面をつけて刀を振るい、足で反閇を踏んで鎮魂厄除けを祈願するものです。

共に儀礼的な側面と共に時代とともに風流化が進み、観るものを惹きつけてやまない芸能へと昇華されてきました。

その中から、最初の演目は国指定民俗文化財の川に念仏剣舞です。

由来について

川西念仏剣舞の由来についてです。

「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」

ということです。

現在の代表は伊藤敏男さんです。



大正14年に平泉村の小野寺亀造が発行した「平泉剣ばい」によると佐野剣舞が平泉剣舞の原初としているが、佐野剣舞がどのようなものであったかは不明。その佐野剣舞の流れを組むのが川西大念仏剣舞とある。

舞手は本来は十三仏に因んで十三人であったというが、現在は八人で踊る。
その構成は、鳥毛の采に阿吽のイカモノ面を付けた六人(正足、正足クズシ、押込、押込クズシ、矢車、魔王)であり、これらのイカモノが一人で舞う演目名も押込などの名前がついている。
それに鳥兜に女面を付けたワカドと、猿面を付けたサルコである。

2020000250550.jpg

演目の主となるものは、やはり大念仏舞であり、これには入り剣舞、中剣舞、引き剣舞という構成になっていて、八人で踊る。
これは、荒れ狂うイカモノ(亡者)達をサルコが念仏踊りを舞いながら一人ずつ折伏していく様を表している。

2020000559926.jpg

動画でどうぞ

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2020.07.15 |

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