南部藩修験惣録「自光坊の歴史」を読む
さて本日は研究書籍についてです。
盛岡市教育委員会が令和二年三月三十一日に発刊した「自光坊の歴史」ですが、盛岡市歴史文化館で頒布しているというので昨日出かけて入手しました。
この資料は、一方井家所蔵自光坊修験関係資料が盛岡市指定文化財に指定されたことに伴い、その資料の概観と重要性を示すために盛岡市教育委員会がまとめたもので、江戸初期から明治の修験廃止令までの経緯を集約していて読みやすい。
この自光坊という修験は、代々南部藩の年行事の惣録として藩内の修験者の差配をおこなってきた。
仔細は盛岡市HPの記載を参照してください。 ⇒一方井家所蔵自光坊修験関係資料が盛岡市指定文化財に指定されました
この自光坊は数多の聖教に関わる文書を集め、その中には祈祷に関するものも多くあった。つまり、所願祈祷する際の祭式とともに、神楽の修し方も定めている。
自光坊が直接関わったと思われる神明社の神楽を始め、成善院の大ケ生神楽、大教坊の見前神楽、明学坊の薮川神楽。
そして一戸の吉祥院配下の山伏が行う神楽について多大な影響力を誇ったことが伺われる。
それにしても室町期から江戸末期までの修験の様相は煩瑣である。
本山派、当山派それに羽黒派が入り乱れての相克パワーバランスの時代である。
そういった状況下で里修験たちが、霞や旦那場の農民たちの心を捉えて呪符の代価を多く得るためにいかに腐心したか、そういったこともこの調査書から伺うことができる。
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