日高火防祭とニワカ
さて本日は、昨日の日高神社祭典から関連して火防祭りとニワカについてです。
現在の日高火防祭においては見られなくなったものの、かつては祭りを賑やかにする役目をもったニワカが多く見られた。
ニワカというのは、近郷近在から祭りの場に出向いて様々な芸を披露し、あるいは練り歩いて賑やかしたり、あるいは御花をいただくことを目当てとして出されたもののことです。
「ニワカとおもいつき」と題する随筆が「心字の街 1976年第2号」にありましたので参考までに掲載します。
「二十年前、水沢の火防祭に行き、これこそニワカ日本の祭の原点を遺している意義深い祭りだと感激しました。それは豪華絢爛な、はやし屋台とは別に、古風豊かな町印と打ばやしと、町全体が、ニワカ連の苗や太鼓に包まれる賑やかさでありました。厄男と銘一打った町の若者達の風流の競演にも目を見張りましたが、農家の人達の流れ二ワカ の門付けが実に愉しかったのです。然しそれが今では、祭り日を春に延期した為に農繁期とかち合い、昔の流し二ワかが見られぬ事は何とも淋しいことです。
祭事にニワカがつきものだと古い記録でよんだ事があり、現在も熊本県宇土郡田綱神社の俄祭は有名で、これは干天祈願のニワカであり、水沢のは火防祈願のニワカで、興味が深いです。
一体二ワカとは古く享保時代から祭りの行事として行われ、面白おかしい駄酒落やオチのついた即興寸劇でした。そして街頭や
庭先で演ずる流し二ワカと屋台の上や座敷でやる屋台ニワカに分れ、後で宴席のニワカが幇間芸として博多や肥後に名人芸の人も居て郷土独得の笑いを発散させています。大阪がニワカの発生地とも言われていますが三河のニワカはだんじりニワカで、山車
の上で青年達が即興滑穆寸劇を競演するのです。仙台にも大正初めまで二ワカが遺っていました。商家旦那衆のお座敷遊びの一
種ですが、今でも憶えているのに、まず一座が拍手で囃し立てます。
ニワカジャ、ニワカジャ、ニワカはナンジャー」すると立ち上った人がここなる女子を一寸借りて、とうたいながら女を立たせ、これなる箸を一寸借りてとうたいながら膳の上の箸をとって女に捧げ待たせ、天の橋立(女子の箸立て)これ 如何|に歌って引きさがる、一同はやんややんやとはやしたてる。(中略)
現在も正月行事として岩手県境に近い、宫域県桃生郡の名振浜に残っている「おもいつき」という行事は、流しニワカで、囃子屋台を先に立てて部落を巡り、庭先で演ずる即典劇ですが、これらニワカは神の怒りを鎮めねがう事が発生の源のようです。」
その流しニワカが水沢の日高火防祭のニワカでした。
以下の写真は「みずさわ散歩 第28号」(昭和56年3月刊行)より
権現舞 北下幅でしょうか
岩谷堂方面からとする手踊 商家を軒並み門付け
四十二歳厄年婦人方の手踊 路地裏まで門付けです
前沢白鳥の手踊ということです
昭和3年の映像から風流古峯神社参拝の態と題した練行列
同じく横町付近での子どもたちの手踊
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この映像はyoutubeにアップされていますので、ご参照ください。
撮影は石川徳一郎さん(当時 松の湯 主人)
「昭和初期の岩手県水沢」東北文映研ライブラリー映像館 ⇒https://www.youtube.com/watch?v=gFtlSSdXPF0
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