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2020.03.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

春彼岸に庭田植踊奉納でご先祖様を供養する

さて本日は、奥州市水沢佐倉河の梅泉寺において奉納された上幅庭田植踊の春彼岸奉納です。

こちらのお寺さんは水沢流通センターに近い佐倉河北部に位置する曹洞宗寺院です。

上幅庭田植踊の地元でもあり、多くの構成員が檀家さんであることから、代々踊り手の先祖供養の意味もこめて5年ほど前から彼岸奉納を行っているとのこと。



さて、上幅庭田植踊りの由来は水沢市教育委員会篇「無形文化財保存記録集 2 」から抜粋

「松本市治氏からの間き取りによれば、「語り伝えでは、今から七三〇年前(弘長二年)この庭田植踊を掃部長者に見せたところが、ここの『田植つこ』は他所の田植っこと違って、『めでためでた」で踊って入って来るのが大変良いということで、一番の折紙をつけられ、それを誇りにして今迄踊り伝え、継承されてきたということです。ただ、どこから入ってきて、誰が始めたかなどということはわからない。高山掃部長者は何せここの地元だから、それにくっ付けてるんでしょう」ということで、伝書、文書類は一切残っていない。」
いわゆる胆沢型の庭田植えである。踊り手は奴及び羯鼓と進行役に杁摺・弥十郎が入り、囃子方は太鼓に歌揚げの構成である。

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この踊り組は正月以降に「つりはり」といって踊組の親戚(いどし)宅を回って歩くのだが、踊り組は総勢20名ほどになり、招いた家では踊組の人々に餅や酒やご祝儀を出さねばならなかったため「庭田植はいどし(親戚)泣かせ」と言われた。
また、小正月になれば「餅の晩」といって15,16,17日の3日続けて部落内をカセドリをして歩いたともいうが今は行われていない。

さて、奉納です。
〽 目出た目出たー の歌とともに庭入りして田植踊が始まります。

踊りの進行役の杁摺と弥十郎が次の演目などを口上する。

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踊りの花形は羯鼓で、太鼓を打ち鳴らしながら軽快に跳ねる。

さて、胆沢型の田植踊といえば、菅江真澄がかすむ駒形の中で、胆沢の徳岡で投宿した際、正月18日の朝に田植踊りの一団が来るのを記述している。

「笛と鼓を打ち鳴らし、銭太鼓(檜曲に糸を十文字に引き渡して、銭を貫いたもの)という楽器を振っている。赤い鉢巻をしたのが「奴田植え」と言い、菅笠(すげがさ)と女の格好をしたのを「早乙女田植え」と言う。一団の宰領役をやん十郎と呼び、竿鳴子を杖につき、口上を言う。」

この当時のとおりとは違い、現在の胆沢では羯鼓踊りと奴踊りに弥十郎と杁摺りがついた形で、むしろこの記述にあるような銭太鼓や早乙女を伴うものは一関~仙台方面の田植踊りがこれに近い。

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こちらは奴で鳥毛の槍を持って踊ります。

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奴踊りの袢纏の背中に入梅の紋が入っています。入梅は暦の上では芒種の後の最初の壬〔みずのえ〕の日であり、陰陽五行説で「壬は水の気の強い性格」とされており、水と縁がある日ということで稲作にとって大事な水の恵を祈願しているしるしといえます。


上幅庭田植踊は2012年の全国青年大会で優秀賞に選ばれました。
今後の活動も期待します。

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動画でどうぞ

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2020.03.22 |

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