湯澤鹿踊「本庭」@2019第47回川井郷土芸能祭
さて本日は、第47回川井郷土芸能祭から湯澤鹿踊で本庭です。
由来については「川井村の郷土芸能調査報告書」等より
湯澤鹿踊は、嘉永2年(1849)に隣村の旧江繋村の尻石鹿踊から伝授されたとあります。
小国川一帯のカンナガラ鹿踊ですが、明治7年(1874)に至って茂市(現宮古市)から木挽稼ぎに来ていた者が「茂市踊り」を伝えた。昔は「つぼけ」という道化が付き、「こだす(養蚕の作業で桑の葉を摘み取る際に使うもの)」に顔を書いて顔に当てて踊ったという。
太夫鹿の「すっかあ(=シカ 大口袴)」に描かれた紋は道又本家の紋章であるという。
その道又家には8月14日の盆の廻向では必ず「れいこう」をあげて門付けするという。つまり、この鹿踊組にとって
道又本家は最重要な家柄であったということだ。
それにしても湯澤鹿踊の頭は巨大だ
同じ幕踊り系の遠野や釜石大槌のと比べても一際大きく偉容だ
ところで盆の廻向であげる「れいこう」であるが、漢字で書くと「礼神」ないしは「礼香」ということで伝わっているそうだ。
川井の鹿踊では門打ちに歩くその道すがら、大事な家や寺社、橋、供養碑等の前で太鼓と唄上げ(念仏)をあげるもののようだ。
そしてさらに、この「れいこう」あるいは「れいごう」と呼ばれる演目は鹿踊のみならず、剣舞、さんさ踊り、御戸入り等、盆の廻向に門付けして回る芸能全てに備わったもののようだ。
これは、これら盆行事の芸能が全て祖霊供養のためのものであったことの証左である。
同じ旧川井村川内の鹿踊の礼神の鹿唄を次に例示する
まいりきて これのごはいを拝すれば いかなる大工がおたてある たてたごはいかな たてたごはいかな
四ツの隅 くさびひとつで つめたごはいかな つめたごはいかな
上を見たれや 綾や錦でふきはえて さても見事なごはいから ごはいかな
また、湯澤鹿踊では次のような言い伝えがあるという。
「天照皇大神が天の岩戸からお出ましになったのを、鳥獣類までも喜び、踊り跳ねたという。大和の国、春日の里から、南部藩、閉伊郡、茂市村の某氏が習い覚え、嘉永2年8月、湯澤地区の人々に伝授した。その巻物は2巻あり、それぞれ胴太夫、頭太夫が保管している」
という訳で、この湯澤鹿踊は紙ザイ系とカンナガラ系の双方を兼ね備えた鹿踊組ということがわかる。
小国川沿いの集落でも、最も遠野との境(立丸峠)に近い集落に伝承されてきた芸能であるだけに、様々な点で重要なキーワードを持つ団体といえる。
今後も頑張って活躍してほしいと願います。
動画でどうぞ
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