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2019.03.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

栗原神楽「曽我兄弟 父の仇討の場」@第29回ころもがわ神楽まつり

さて本日は、第29回ころもがわ神楽まつりから栗原神楽で曽我兄弟 父の仇討の場です。

その前に栗原神楽さんの由来について定本より

「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。

現在の代表者は佐藤敬さんです。



曽我兄弟の仇討についておさらいです

所領争いのことで、工藤祐経は叔父・伊東祐親に恨みを抱いていた。安元2年10月、祐経は郎党の大見小藤太と八幡三郎に狩に出た祐親を待ち伏せさせた。2人の刺客が放った矢は一緒にいた祐親の嫡男・河津祐泰に当たり、祐泰は死ぬ。
祐泰の妻の満江御前とその子・一萬丸と箱王丸が残された。満江御前は曾我祐信と再婚。一萬丸と箱王丸は曾我の里で成長した。その後、父の仇を討つことを密かに心に図っていた。

そして、建久4年(1193年)5月、源頼朝が富士の裾野で巻狩を模様すことを知り、本懐を遂げることを策謀する。

先に名乗りを上げるのが曽我兄弟の兄の十郎祐成さん

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弟 五郎時致

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5月28日の夜半、敵の陣屋に討ち入ろうと、松明をかざして頼朝の陣屋を探ろうとしするが、折から雨が降りだした。
最早仇討ちもこれまでと、自刃の刃に手を掛けたその刹那、二人に近寄る上臈が一人

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虎御前と名乗る上臈が、曽我兄弟の仇討を導くことになる

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そして、数々の木戸を通過して、曽我兄弟の仇敵の寝所にたどり着く。

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そこでは、父の仇の工藤祐経が酒宴の酒に酔って寝ていたが、正真正銘の仇討ちを遂げたい曽我兄弟は工藤祐経の酔いが覚めるのを待って仇討ちすることにした。

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そして、無事本懐を遂げた兄弟は父の菩提を弔いながら、千代の御神楽を舞うのでした。

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2019.03.18 |

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