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2019.01.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

狼河原田植踊@中東北田植え踊り大会

さて今日からは、本日開催されました中東北田植踊大会の様子をリポートしていきます。

ということで今回の大会の主旨について当日パンフレットより

「田植え踊りは、主に宮城・岩手両県を中心にした東北地方で小正月の頃に行われる予祝芸能、田遊びが風流化されたものとされます。
この踊りは、稲田の作業を模する所作を舞踊化し、「物まね」をすることでその年の豊作を祈願する「予祝」の意味を持つ芸能であり、一般的には正月期間に行われ、屋外で演じる「庭田樽え」.と屋内で演じる「座敷田植え」に大別されます。
今回は、宮城県内から狼河原田植踊保存会、富谷田植踊保存会、廿一田植踊保存会の3団体、岩手県内から山屋田植踊保存会、そして地元一関市内から入山沢田植え踊り保存会、下内野田植踊り保存会、徳岡田植え踊り保存会の3団体のあわせて7団体にそれぞれ伝承されている田植え誦りを演していただきます。
また:今回の田植え踊り大会を開催するにあたり、東北歴史博物館の小谷学芸員からは出演団体についてご指導いただき、徳田、下内野、狼河原、廿―の各保存会の皆様には、協力団体としてご協力いただきました。誠にありがとうございました。
この大会を通じて、郷土芸能の保存や愛護思想の普及、後継者育成につながれば幸いでございます」

というとおり、岩手宮城の田植踊を一堂に集めて鑑賞しようという画期的な企画です。
しかも、今回の出演依頼を受けて数十年ぶりに活動を再開したという団体もあり、伝承継続という意味でも大変意義のある大会となりました。できうることなら来年度以降も継続していただきたいと願います。



さて、狼河原(おいのがわら)田植踊保存会は「夢創の会」と称して活動する城県登米市東和町米川の団体です。

由来について当日パンフレットより

「狼河原田植踊は、慶長年間当時栄えていた鉱山工夫たちの宴会踊りが地域に広まり、次第に豊作祈願と暮らしの安寧を祈
る田植踊りとなったといわれ、昭和30年編纂の米川村史米川風土記の中にも、小正月に集落を巡って祝い合う田植踊りの記載
がありましたが、昭和に入って次第に継ぐ人も無いままに途絶えていました。
昭和50年代、岩手に「狼川原流」と称される田植踊りがある事が判り、地元の田植踊りの真偽について調べていた所、地元の古老から、子供のころ、門巡りする田植踊りについて廻ったこと、更に平成に入って、藤沢町の徳田田植踊りが宮城の方に関わりがあるらしいとお聞きし、ご指導をお願いし快く応じて頂いたことから、平成3年田植踊りの会「夢創の会」を結成。同年3月の夜、会員十数名が押しかけ、深夜まで1週間にわたるご指導を頂き、6月の地元のイベント「キリシタンの里まつり」での初披露に至りました。
現在は、米川小学校の学習発表会への協力とともに、市内各種のイベント等に、小学生も入り出演しています」

ということです。

弥十郎は子どもたちが担当

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羯鼓踊りはいわゆる胆沢風です

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狼河原流が胆沢(現奥州市胆沢)と関係があるとのことだが、胆沢の出店田植踊には文政七年(1824)の伝授証があり、その奥付には「正名 狼川原」とあるという。

この狼川原が登米市東和町米川の狼河原の流れだとすると胆沢にはここから伝承したことになるが、真偽定かでない。

この辺のことは明日以降に述べることとします。

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動画でどうぞ

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2019.01.27 |

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