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2019.01.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

神楽伝承本について考えるvol.3 大原神楽の「風流諸作 御神楽詠議本」その1

さて本日は神楽伝承本について考えるシリーズの第3弾です。(という程おおげさなものではないが)

奥州市衣川の大原神楽で伝えられている神楽の演目と神諷を小坂盛雄氏が著した快作です。
とある知り合いのつてで偶然に手に入れることができた貴重な本です。

大原神楽は現在の代表高橋末男さんの父親高橋辛さんが一関市山谷から衣川に婿入して伝えたことに始まる。
神楽を始めた頃のことについて同書「集録のはじめに」で小坂盛雄さんがこう記している。

「昭和43年、師匠辛氏の手伝いをして大原の神楽の成立を見、更にその後45年大森子供神楽の発祥を見るに至り、神楽が郷土芸能の一端であるとともに、その伝統を纏めて記録する必要を考えてみた。
昔からの神楽には種目も沢山あったようだが、その全部を集めるなどということはとても難しく、今回はこの記録には自分が若かりし時の一座が演じたもののみを集録したものであり、そのために内容の踊りについては多少自信はあるつもりである。」
として、当時神楽を記録しておかなければ潰えてしまうのではという危機感から自らの心技を伝えようとした情熱が感じられる。

また、共に大原の神楽を盛り上げ、かつ大森こども神楽創生に携わった当時大森分校教員の佐々木久雄(三好京三)さんが巻末言でこう讃えている。

「大原神楽一座に、小坂少年が入ったのは、彼が十四才の時だった。
彼は背は小さいが、記憶力が抜群で、しかも美声であった。
新入りだったから、激しく体力を消耗する「みかぐら」や「山の神舞」を踊らされることが多く、劇神楽では端役にまわされて、ほとんどの幕に出演させられた。
鉦すりも人の倍はやらなければならなかった。
それが幸いした。
神楽の大部外を見聞きし、学習する機会を持ったことになる。
優等生でありながら高等科に進めたかったかなしみを、小坂少年はいつも胸に秘めていたが、それが冋時に、新入りの苦痛をはねのけるばねになった。
吸い取り紙のように彼は神楽を吸収した。(中略)
小坂先生の詠議本が出る。
それは今流行の郷愁文化というべきものへの奉仕ではまったくない。
全身に汗しておどる神楽人たちへの精一杯のおくりものである。
亡き仲間たちへのかなしい回向である。
そして愛すべき神楽の存続への切ない願いである。
形式はむかしの神楽少年たちの詠議本をなぞった。
これこそが詠議本である。」
と。

小坂盛雄さんと三好京三さんがそういう想いで発足させた大森こども神楽は、今も隆々たる神楽団体として活躍していて、昔の演目も復演するなどして両氏の想いに報いているのもこの伝承本あればこそと思います。



小坂盛雄さんは少年のころ優等生であったが高等科に進めなかったが、後に衣川村教育長も務める等勤勉努力の人であったというが、その性格は文字にも顕れている。
達筆であるし、これだけの神楽演目を頭の中に入れていたということは驚愕に値する。

20190118_201036027.jpg

という訳で、本日はここまで。明日は神楽伝承本の演目について掲載します。

DSC01406.jpg

本日の動画は平成23年2月に開催された第21回ころもがわ神楽まつりでの大原神楽「一の谷」です。

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2019.01.18 |

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