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2018.11.04 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

栗原神楽「藤原秀衡公の最期」@これはりの里神楽伝承まつり

さて本日は、これはりの里神楽伝承まつりから栗原神楽で藤原秀衡公の最期です。

栗原神楽さんの由来については定本より

「明治一二年三月三一日、栗原悦之助が神道事務局に神楽の届出し承認を得た文書がある。
岩手県萩荘村市野々の自鏡山山伏神楽の指導を得たといわれている。
大正時代に復活、中断した。昭和五年、栗原の佐藤正吉が指導し再興する。その弟子代表の佐藤左吉に引継がれ現在に至っている。初代庭元栗原悦之助が中断後を再興した。」とあります。

現在の代表者は佐藤敬さんです。



さて、演目の秀衡最後はオリジナル創作で舞台で演じるのは二度目ということです。

奥州平泉の藤原王朝三代目の秀衡が三人の息子に後世を託すという内容で、台本は神楽メンバーが考えて大学教授の監修も得たという力作です。

ストーリーについて当日パンフレットより転載します。

文治元年(1185年)壇ノ浦の戦いでついに平家を減ぼした源氏、その最大の立役者である九郎判官源義経は、やがて兄頼朝に命を狙われ逃亡の身となってしまう。
義経が頼ったのは奥州平泉の藤原秀衡公だった。苦難の末北海道を北上し平泉に入り秀衡公の住む加羅御所にたどり着き、久々の対面となつた。

秀衡です。

114IMG_6618.jpg

秀衡の息子、国衡、泰衡、忠衡です。

115IMG_6619.jpg

しかし、再会したのもつかの間、その年の秋、病にかかったとして泰衡を指名、兄の国衡には自分の要を娶らせ、自分の代わ
りに父として力を貸すよう伝える。しかし、泰衡は藤原家を導く自信がないと弱音をはくが、国衡から父の仰せであり、自分も養父として力になることで説得する。泰衡は忠衡の協力も頼み後継者を受けた。

116IMG_6620.jpg

そして秀衡はこの場に九郎殿を呼ぶように忠衡に命じ、枕元に来た義経に対し自分はもはや眼がみえないこと、目の奥に浮かぶのは皆の顔であると伝えます。
そして兄弟と義経に対し、「これからは兄弟三人力を合わせ、九郎殿を大将に仰ぎその命令に従うこと。自分が亡くなれば鎌倉〔兄頼朝)から九郎殿を差し出すように賣められるので、白河の関より北へは一兵も入れないよう守ること。自分が亡くなつたことは伏せるよう頼む」と言いながら目を落とす。
泰衡は亡くなつた父の遺言を守り九郎殿を大将に仰ぐ事を誓う。

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秀衡公の最期に立ち会った義経は、兄弟に対しこの平泉が永久に栄えるよう尽力することを誓い、義経と兄弟が亡<なった秀衡公に手を含わせるという場面である。


ということです。

後続も期待できそうですから、益々楽しみです。

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動画でどうぞ

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2018.11.04 |

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