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2018.09.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川北神楽「河津三郎祐泰最後の場」@第58回宮城岩手選抜神楽大会

さて本日は、第58回宮城岩手選抜神楽大会から川北神楽で河津三郎祐泰最後の場です。

その前に川北神楽さんの由来について

「明治16年に、初代庭元佐藤福男が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の佐藤春吉師匠を招き、部落の若者達に神楽の指導を行い、門出神楽を創設した。
大正初期、一迫町長崎高橋長右エ門師匠の指導を得、現在まで休むこともなく継続されて来た。
その後、昭和41年に一迫町民俗芸能無形文化財の指定を受けたことを契機に川北神楽保存会と名を改め現在に至る。」
現在の代表は佐藤勝さんです。



演目の河津三郎祐泰最期の場は、曽我兄弟物語の冒頭部分の一場面です。

河津三郎祐泰さんです。
鎌倉頼朝公が富士の裾野の巻狩の際に、河津祐親(父)祐清(弟)も出陣した。

154IMG_5463.jpg

一方工藤左エ門尉祐経は、自分の親が殺され、しかも領地まで奪われた仇敵河津親子を家来の八幡三郎行氏に巻狩の帰路に遠矢にて射止めよと指示する。


155IMG_5464.jpg

祐泰は数々の獲物を射止め馬上にて帰路の時、赤沢山で待ち伏せしている八幡三郎の遠矢に射られた。

157IMG_5466.jpg

通りかかった父祐親・弟祐清に支えられ、手当を受けたが急所を撃ちぬかれたがため命を落とすことになります。

162IMG_5471.jpg

河津三郎祐泰は、今わの際に、最期の願いとして妻子の養育を頼み行きを引き取ったという場面です。
そして、物語は河津三郎の息子の一萬丸と箱王丸(曽我兄弟)の仇討ちの物語へと続いていきます。

163IMG_5472.jpg

動画でどうぞ

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2018.09.19 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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