城生野神楽 河津三郎祐泰最期の場 @ 第41回みちのく神楽大会
さて本日は第41回みちのく神楽大会から大トリで城生野神楽さんの河津三郎祐泰最期の場です。
今回城生野神楽さんはアトラクションとしての出演でした。
その前に、城生野神楽さんの由来について定本より
「嘉永年間(一八四八)富野城生野の富助が岩手県西磐井郡萩荘村市野々、自鏡山の山伏神楽を習得した。後部落の若者達に指導して城生野神楽を創設した。
以来城生野神楽は、山伏神楽の正統を保っているので宮城県北の神楽の総元締である。
初代庭元千葉幸之進、現在の庭元加藤義勝は五代目である。
昭和三六年一一月、築館町の無形文化財に指定されている。」
とあります通り、幕末に自鏡山の法印神楽を習得して以来、明治中期に阿久戸神楽に伝承したのを初めに、栗原地方の十数団体に神楽伝授を行なってきた団体であります。現在の代表は佐藤安美さんです。
この日の胴は佐藤正行さんです。
演目の河津三郎祐泰最期の場は、日本仇討ちの名場面のうちの一つです。
鎌倉頼朝公が富士の裾野の巻狩に出陣した河津三郎祐泰
一方工藤左エ門尉祐経は、自分の親が殺され、しかも領地まで奪われた仇敵河津親子を家来の大見の小藤太と八幡三郎に巻狩の帰路に遠矢にて射止めよと指示する。
祐泰は数々の獲物を射止め馬上にて帰路の時、赤沢山で待ち伏せしている近江八幡の遠矢に射られた。
祐泰の後を進んでいた、父祐親と弟祐清が駆けつけますが、既に虫の息。
父祐親は、「どうせ当たる矢なら、年老いた自分に当たれば良かったものを」と嘆きます。
河津三郎祐泰は、今わの際に、最期の願いとして妻子の養育を頼み息を引き取ります。
祐親は弟祐清に兄の亡骸を弔うように命じ、祐清が兄祐泰を背負って弔いに向かいます。
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