笹流加賀野神楽 東下り @ 第14回登米市民俗芸能大会
さて本日は、第14回登米市民俗芸能大会から大トリで笹流加賀野神楽さんで東下りです。
加賀野神楽さんの由来について
「笹流神楽は、志波姫町出身の南部神楽師・鹿野吉三郎が興した流派で、現在、志波姫に大平神楽として伝承されています。
明治43年(1910)、鹿野吉三郎を師匠に招き中田町石森野元の千葉源吾宅において修練を積み、「野元神楽」として始めたのが「加賀野神楽」の前身で昭和20年(1945)項まで盛んに演じられましたが、戦後は高度経済成長による社会情勢の変化や後継者不足のため行われなくなりました。
野元神楽を伝承していた中田町宝江新井田の熊谷孝翁が大正6年(1917)頃から新井田地区の人たちに教え「笹流新井田神楽」を興しています。
昭和53年(1978)11月、長らく途絶えていたこの神楽を後世に残そうと加賀野地区の青年たちが中心となって同系統の南部神楽である「新井田神楽」から手ほどきを受け、「加賀野神楽」として復活し、その後は「なかだの秋まつり」をはじめ、各種イベントや大会に出演し、現在、若い後継者も育っています。」
ということですが、この日の舞手も若者中心で頑張っていました。
さて演目は牛若丸の東下りなのですが、一般的な東下りとは多少筋立てが異なっています。
牛若丸です
牛若丸が鞍馬山を降りて、金売吉次の手引きで奥州平泉の藤原秀衡のもとへと向かいます。
その途上で常陸の国、足立左衛門宅に立ち寄った際に牛若丸とともに打倒平家に立ち上がるよう呼びかけます。
足立左衛門です
もとより足立左衛門は、牛若丸の父源義朝の家臣であったので、ともに加担するかと思いきや足立左衛門は平家の勢力顕著な今は立たずと答えたため牛若丸が激怒して追い払います。
平家方にこのことが知れては先行き御番所での咎めがあるならんと、先の平泉までは山道を行く覚悟で出立するのでした。
もっとも、足立左衛門は後に源頼朝に従って勲功をあげて領土を安堵されています。現在の埼玉県大宮市周辺ということです。
大変珍しい演目を見せていただきました。この神楽本は新井田神楽からということです。
動画でどうぞ
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