和賀大乗神楽 大乗の下@ 第18回慶昌寺神楽公演
さて本日からは、3月24日に北上市和賀町煤孫の慶昌寺で行われた和賀大乗神楽さんの定期公演の模様についてです。
その前に和賀大乗神楽さんの由来について当日パンフレットより。
「口伝では、約600年前の正和4年(1315年)に慈覚大師の弟子である玉木明介が京都東山の聖護院の門跡として修験修行し、煤孫に帰郷後に貴徳院を開基。後に権大僧都満開山円光法師が創始した神楽とされ、「貴徳院法印神楽」とも呼ばれていました。
嘉永元年(1848年)に、宮城県遠田郡涌谷箆岳の無夷山箆峯寺(天台宗修験兼帯)から大乗神楽が伝承され、嘉永2年(1849年)に南笹間(現花巻市)の萬法院を会場に大乗会を開催しました。3年後の嘉永5年には大乗仏教を基にした加持祈祷の舞として「大乗神楽」と改称。
その後、一時中断されていましたが慶応年間に佐藤寅次郎が貴徳院に伝承されていた神楽の復興を願い、妻の父である南笹間の八幡神社別当高法院(十七世再中興法印)に師事して再興しました。
また、神楽の習練と継承を目指すため、江釣子の自性院や更本の大福院と協力して発展に貢献すると共に、明治8年と33年に合同による大乗会を催行しています。その後自性院は神楽からは離れてしまっています。
煤孫の大乗神楽は佐藤寅次郎より高橋多喜蔵・武田三蔵・三田市太郎・武田博・鈴木秋尾・亀田正樹、現在の鈴木俊逸・菊地斉と続きます。
現在では、元朝に煤孫の古舘神社に奉納し、別当の武田家で舞い始め儀礼を行うほか、毎年3月頃に地元の慶昌寺本堂に於いて「慶昌寺公演」を開催しています。大乗神楽30演日以上の内、半数以上の演目を所持しています。」
ということです。
という訳で、本堂内での上演に先立って、寺の山門付近で儀礼的な「大乗の下」です。
大乗の下とは、加茂の大明神で、本地は難勝佛に比定されている。
神降ろしや神上げの際に舞う儀礼的な舞で、神楽座の場を清めつつ無事に神楽が納めることを祈願する舞です。
山門での大乗の下が終わると、一行が囃子にのりながら慶昌寺へと舞い込みます。
動画でどうぞ。
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