萩野鹿踊
今日は山形県新庄市萩野の山形県指定無形民俗文化財の萩野鹿子踊を。
由来説明は当日のリーフレットから抜粋します。
岩手宮城の鹿踊が風流ものであるとするなら、この萩野は華美に流れる前の古典とも言うべき風格をもっている。
由来から・・・
「山形県各地にも多頭踊の鹿踊が多く、新庄でも古くから8組の同系の鹿子踊があったといいます。
その発祥を天平のころ、大野東人の率いる蝦夷征伐の軍勢が大室駅に屯したとき、野営で兵士たちが鹿子踊をしたと伝えます。」
「享保年間(1716~ 35)から戸沢藩の保護を受けてきました。
毎年旧盆には「鹿子踊庭入」といって、社寺や家中の家、踊りを所望する民家を巡って踊り歩いてきたといいます。
所望する家の門口には、ススキやトウキビを立てておく習わしがあるようです。」
「踊手(マリコという)は7人で、黒く平つたい獅子頭に鶏毛をつけて冠り、黒い幌幕の中には竹枠をつけたたいこを抱えて打ち鳴らします。」
「ジカタという唄い手2人は頭に赤い幕を回した菅笠を冠り、白い単衣を着て、太い割り竹のササラをすすりながら唄います。」
「鹿子達はそれぞれ背中に小さいはたや「ぼんぼり」を指す。
はたを指すのは中鹿子・勝鹿子・負鹿子の3人で、中鹿子のはたには「萩野村」と記され、勝鹿子のそれには表に「大以良川」、裏に「十日風」、負鹿子のには表に「小以良川」、裏に「五日雨」と染め抜かれている。この地方では十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降ると豊作になるといい「五雨十風」のいわれがある。
「鹿子頭とささらは萩野鹿子踊の大きな特色といわれる。先にみた如く、鹿子頭は羚羊を模したものであるが、羚羊の鹿子踊は全国で当地区がただ1か所といわれる。」
動画でどうぞ。
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