崎浜大漁唄込み @ 第七回三陸海の盆
さて本日は、第七回三陸海の盆から崎浜大漁唄込みです。
といいつつ、演目に入る前に、プログラムの合間があいたので、会場の隣接地にある旧田老観光ホテルまで歩いてみた。
震災前は田老町が全国に誇る高さ10mのX字の巨大防潮堤でしたが、約20mを超える津波により瞬時に破壊され、防潮堤の内側にあったホテルも4階まで波が押し寄せて、2階まで破壊浸水したとこのとです。
この周辺は野原地区といい、昭和三陸大津波でも浸水地域で家がなくなった場所。
それが昭和50年代に新たな堤防が築かれて家が建ち始め、そしてここにホテルが建てられたという。
三陸沿岸の臨海地域に共通しているのは、町場を形成する平場が少ないために0m地帯でも建物をたてざるをえなくなるということ。
明治、昭和の大津波があっても10数年後にはまた新たな町が形成される、その繰り返しではあったが、今度ばかりはそうはいかない。そうあってはならないという教訓を後世に残すためにも、このホテルは震災遺構として残されることになったという。
大型重機が動き回る中で、海に向かって合掌し会場に戻った。
さて、崎浜大漁唄込みです。
由来について
「崎浜大漁唄込みはその昔、帆を操り櫓櫂を頼りに漁に出ていた時代から現代に伝えられているもので、300年を超える歴史があると言われております。
通信手段のなかった昔は、陸で待つ家族の元へ大漁の喜びを、いち早<知らせるための連絡手段でもありました。
唄い手が身に纏っている着物は、大漁看板と申しまして、大漁の際に網元から頂戴したご褒美で、言うなれば海の男の勲章でもあります。海の男の心意気は大漁看板に染み付いており、海の男のロマンは唄の中にしっかりと息づいています。
それは海を愛し、海に感謝し、海に捧げる讃歌であり、豊饒の海から港入りする、漁師の凱旋歌なのです。」
ということです。
この唄い込みは今か340年前に紀州和歌山の新宮市宮崎から鰹漁とともに伝わったといいます。
唐桑では先の震災で大きな被害を受け、しばらくはこの唄をうたう気になれなかったと。
しかし、新宮市の漁師さんたちがいち早く救援物資を持って駆けつけた。(鮪を持って)
その恩に報いようと何かしなくてはと思った時にこの唄が自然と出てきた。
唐桑には「天運循環」という言葉が言い伝えられている。
これは、どんなに不漁がつづいても前の大漁から60年たてば必ずまた大漁があるという教えで、今回の震災から立ち上がり、必ずまた復興するのだという励みとしているそうです。
動画でどうぞ。
- 関連記事
-
- 山口さんさ踊り @土渕まつり2017 (2017/09/05)
- 来田七ツ物踊り 八坂神社奉納 (2017/08/31)
- 崎浜大漁唄込み @ 第七回三陸海の盆 (2017/08/18)
- 桜舞太鼓 @ 第七回三陸海の盆 (2017/08/17)
- 中野七頭舞 @ 第七回三陸海の盆 (2017/08/15)
