富沢神楽 那須与一扇の的 @ 第13回神楽共演石越大会
さて本日は、第13回神楽共演石越大会から富沢神楽さんで 那須与一扇の的です。
その前に富沢神楽さんの由来については定本から
「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」
とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。
さて、演目の扇の的は屋島合戦での那須与一の活躍を描いた場面です。
寿永4年(1185年)2月、讃岐屋島へ逃れた平家を追って、義経は海路阿波に上陸、陸路屋島に迫り、背後から平家を急襲した。
驚いた平家軍は、船に乗って海へ逃げたが、源氏軍が案外少数と知って応戦し激しい攻防が繰り返された。
日が暮れて両軍が兵を引きかけている時、沖の平家軍から年若い美女を乗せた小舟が一艘漕ぎ寄せてきた。
美女は、日の丸が描かれた扇を竿の先にはさんで船べりに立て、陸の源氏に向かって手招きをしている。
〽 これを射落とす者は誰かよ と義経
揺れる小舟の上で扇も揺れる
義経配下の後藤兵衛実基の呼びかけに応じて、源氏一番の弓上手と言われた那須与一が現れます。
与一は、馬を海に乗り入れたが、扇の的までは、まだ40間余り、さらに風が吹いて扇の的は小舟と共に揺れている。
「南無八幡」と心に念じた与一が渾身の力で鏑矢を放つと、見事に扇の要近くに命中した。
この奇跡的な弓技に驚嘆したのは源氏の兵ばかりではなかった。平曲では船上にあった平家軍も船襟を叩いて感嘆したということです。
動画でどうぞ。
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