2017.05.09 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

鶯沢神楽 弁慶安宅の関@第47回岩手県南・宮城県北神楽大会

さて本日は、第47回岩手県南・宮城県北神楽大会から鶯沢神楽さんで弁慶安宅の関です。

その前達に鶯沢神楽さんの由来について

「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創股した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者盤成識習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」

ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。



演目は、源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫左右衛門泰家が武士の情けで通したという場面です

義経さんです。 舞手は神楽女子です。

義経公が弁慶ともども都落ちする場面です。
「しかるに兄頼朝殿は 誰の讒言か知らねども、今はこの判官をなきものにせんと 
 これが血を分けし兄弟か ああ口惜しや 無念なり 涙が先んじ 情けなや」

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弁慶さん 
「しからば平泉さしての下向御伴仕る」

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義経一行が山伏姿に身をやつして密かに北陸路を抜けて奥州へと行く道すがら、安宅の関にさしかかります。
関守の富樫左衛門泰家の検分にあいます。

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関守に義経主従と怪しまれ、疑いを晴らすため、弁慶が東大寺建立の勧進帳を空読みします。

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富樫の家来が、剛力姿をしたもの判官殿によく似たりと進言したため富樫は義経の顔改めをします。
これに危機を覚えた弁慶が、涙を呑んで義経を未熟者めと強打します。

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数々の疑問はあるものの、山伏一行を義経主従と見破った富樫左衛門尉ですが、武士の情けで通すことに気めます。
山伏先達を武蔵坊弁慶と見破りながらも大法師と呼びかける心遣いに神楽の観衆も惜しみない拍手を送ります。

「彼も武士なら我も武士。ここで、判官殿に縄をかけるのは容易けれど、ここが武士の情けのかけどころ」

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からくも関所を抜けた義経主従ですが、弁慶が主人に手を上げたことを詫びて切腹しようとします。
義経それを押しとどめ涙ながらに諭します。

〽 屋島の戦に継信が、吉野の山では忠信が いずれも我の身代わりに死せり  この判官 汝に命を託すなり

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動画でどうぞ。

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2017.05.09 |

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