嵯峨立神楽 笹結び@第47回岩手県南・宮城県北神楽大会
さて本日は、第47回岩手県南・宮城県北神楽大会から嵯峨立神楽さんで笹結びです。
嵯峨立神楽の由来については次の通り
「嵯峨立神楽」は、「修験道賀多羽流」と称し弘化年間(1844~ 48)嵯峨立普慶院第二十四世佛心得宗大和尚により伝承されたと言われていますが、中田町上沼八幡山にある「上沼加茂流法印神楽」の由来書には、江戸時代中期、中田町内にある六ヶ院の法印たちにより神楽を執行し、文化・文政の頃には、東和町錦織や嵯峨立の法印も加わり十三ヶ院で神楽を演じていたとの記述があり、現存する古い神楽本には上沼や浅部の法印神楽と同じ演目が残されています。
明治初年、神仏分離令により修験宗が解体され、法印神楽の継続が困難となり、明治初期に当時流行していた南部神楽を取り入れ変容したものと思われます。
他の南部神楽では決して演じることのない法印神楽のみに伝わる「笹結び」や「宇賀玉」などの演日が「嵯峨立神楽」には伝承されており、法印神楽の芸風を色濃く残したきわめて貴重な南部神楽となっています。
とあります。
この演目は法印神楽にのみあるもので山伏神楽の演目を踏襲している南部神楽団体にはない。
嵯峨立神楽はもともと上沼法印神楽を伝えていたため、多少形は変わっているが伝承されているもの。
最初にフジオイクミノ神が出て、天地開闢の言われと伊弉諾伊弉冊の国産みの話を述べる。
そして、国造りに禍をなすという五鬼大神を討ち取るものはいないかと、神を呼び寄せる。
それに応じた田中大王四天神徳丸が荒々しく登場する。
続いて胴体は一つで頭が五つ有るという五鬼大神が現れて神戦となる
法印神楽の流れなので、両者とも客席までなだれ込んでの乱闘となります。
本来はもっと遠くまで追いつ追われつしての大立ち回りをすると思われるのだが、神楽大会は時間制限があるので、この程度で再び舞台に戻った
最後には五鬼大神を退治し、首を取って幕入りとなる。
流れ神楽の本領発揮といった一幕である。
動画でどうぞ。
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