一関市舞川の善楽流獅子舞巡行記 前編
さて年度も改まり、4月の1日ですが、今日もサービス出勤でした。 花見が待ち遠しいなぁ・・・
それはさておき、今日は3月5日に行われました一関市舞川地区の春祈祷、善楽流獅子舞のリポート前編といきます。
そもそも一関地方には、旧正月から春彼岸の間に産土の神社の氏子領域を巡行して災厄消除を祈祷して廻る獅子舞があった。
これらの起源はいずれも不詳としながらも、羽黒山(山形県)の修験に習得を仰いだという言説が多い。
この善楽流獅子舞でも同理の伝承があり、以下のような説明がある。「一関地方の民俗芸能(平成10年刊)」
「この獅子舞のはじまりは、舞川字不動塚にあった不動院に伝わったもので、その時代は江戸時代初期の寛永年間である。
安永四年の風土記書上によれば、この不動院は中興となったおりこの時代は十一代となっている。
紀州の熊野修験、出羽の羽黒修験等によって開院されている。
後数代を経て同村字河岸に遷座熊野権現と号す。別当は一明院が主流をなしている。
この熊野権現も大正三年十二月十七日に村社舞草神社に合祀された。
建物は同社の奥院として現存している。
これ等一連の流れの中で当然のことながら獅子舞もその行動範囲は広くなっていきました。
以来昭和四十年頃まで旧暦の二月一日に舞草地区全域をまわり諸悪根源を門毎に祈祷してきた。」
ということです。
その前にこの獅子舞巡行の出発点 一関市舞川鎮座の舞草神社について。
社伝によれば、大同2年(807)に坂上田村麿によって創建。神仏習合時代は、吉祥山東城寺と称していた。
舞草神社の山門と拝殿です。
舞草神社は、古くは白山岳に鎮座していたという伝承もある。
白山岳周辺には、鍛冶遺跡があり、舞草鍛冶として有名で、全国の刀工の祖神としての崇敬も篤い。
境内には古今の石灯籠が並び、往昔の寄進者の想いが表れています。
まずは、拝殿内で調度をしつらえ祈祷して次の神事に移ります。
地元の保存会の皆さんが諸準備をしています。
これはお神輿ですが、随分と品格があります。
切妻に破風がついていて、山車の雰囲気もあります。
さて、獅子頭と幕です。
この獅子舞はもともとは天王社についていたもので、社殿焼失のために現在は舞草神社境内に祀られているだけということです。
それで、幕には「八雲神社」と有るわけです。
そういえばお隣の狐禅寺獅子舞も八雲神社付きでした。
悪魔祓いといえば素戔嗚尊なのでしょうか。分かり易いといえば分かり易い。
口を開けると、舌は無く、銘もありませんでした。
神事の開始です。
駒形神社の宮司が神事を司どっています。
拝殿の前でjは、獅子舞グループが神事を受けています。
で、いよいよ巡行となりますが、それは明日の後編にて。
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