大原神楽 前九年合戦の場@ 第27回衣川神楽まつり
さて本日は、第27回衣川神楽まつりから大原神楽さんで、創作神楽夕日の衣川第二場前九年合戦の場です。
その前に、大原神楽さんの由来について定本より
「西磐井郡厳美村山谷入道の佐藤辛氏が衣川村大原に入婿し高橋姓を名乗る。
高橋辛は三輪流山谷神楽の舞人であったので、高橋寿七が庭元となり高橋辛師匠の指導で大正10年大原神楽を創設した。
戦前、戦後中断していたが、昭和四二年高橋辛、小坂盛雄両師匠の指導で現在の大原神楽が復活した。
初代庭元高橋寿七、二代高橋正名、佐藤光男は三代目である。」
とありますが、現在の代表は高橋末夫さんです。
さて、演目の夕日の衣川は、昭和47年に当時の衣川村長菊地豊と教育長小坂盛雄が大森分校に在職していた教師で作家の三好京三に働き掛け、台本を小坂盛雄が担当して制作、初披露されたということのようです。
奥州十二年合戦とも呼ばれるこの戦いは、源頼義の奥州赴任(1051年)から安倍氏滅亡(1062年)までを描く物語として古今著聞集や源平盛衰記にも記されています。
この夕日の衣川はそうした内容を四場の神楽に創編されています。
第一場 安倍館詮議の場
第二場 前九年の役、合戦の場
第三場 大森山夕日の場
第四場 中尊寺縁起 豊田舘の場
となっています。
この第二場朝廷から安倍氏征討の勅命を受けた源頼義が息子義家とともに奥六郡へ攻め入る場面から始まります。
そして義家は小松が柵に向かい、頼義が衣の関に攻め入ります。
そこへ鳥海三郎宗任が馳せ参じて斬り合いとなるも、宗任は破れて逃げ込みます。
場面変わって、安倍貞任が出て、父頼義が伏兵の流れ矢で戦士したことを嘆きます。
そこへ、源義家が弓を携えて出て貞任と戦になり、貞任は敗走します。
貞任の後ろ姿に義家が歌で挑発します。
〽 衣の舘は ほころびにけり
それに対して貞任は上の句を返します
〽 年を経し 糸の乱れの苦しさに
あまりの見事な返し句に感心した義家が
〽 この地をば 一首坂とぞなづけおく
名場面です。激しい戦闘の最中にあって武将同士が和歌で応酬するという趣のある話です。
古今著聞集には「さばかりの戦ひの中に、やさしかりけることかな。」と記述してあります。
この一首坂は衣川古戸から胆沢区へ通じる県道236号線です。
動画でどうぞ。
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