米川の水かぶり と 長下田神楽
さて、本日は先週の日曜日に訪問した宮城県登米市東和町米川の初午行事「米川の水かぶり」についてです。
今年は日曜日に当たったため10数年ぶりに見に行ったわけですが、ものすごい人出でした。
さすが国指定重要無形民俗文化財です。
とともに、この米川の水かぶりは現在ユネスコ無形文化遺産に来訪神行事として申請中ということで、指定を前に期成記念行事として例年以上に力を入れての開催だったようです。
祭りの由来は定かでないものの、水かぶり宿(菅原家)の口伝では江戸時代中期既に行事が行われていたという。
水かぶりの一団は町に繰り出し、家々の前に用意された手桶の水を家に掛け火伏せする。人々は水かぶりが身に付けたしめなわを抜き取り屋根等に上げて火伏せのお守りとするというものです。
初午の火伏せ祈祷なので、男たちは最初に秋葉大権現に参拝し、その後町に繰り出して家々の火伏せ祈願をして回る。
さて、今回は水かぶりの男たちを追うことは省略して、神賑のステージについてです。
この日は、横山火伏せ獅子舞と長下田神楽と浅部法印神楽という中々豪華なプログラムでした。
私のみならず神楽目的の方々(法印神楽関係者)が何名か来ておりました。
その前に、長下田神楽さんの由来について
「明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。」
とあります。現在の代表は猪又一雄さんです。
さて、牛若丸金売吉次鏡ヶ宿の場ですが、これは義経記等にも記された、源義経の東下りの一節で、近江国鏡ヶ宿で金商人の三条吉次との出会いの物語です。
奥州へ財宝を運ぶ途中の吉次一行を盗賊の熊坂長範が襲いますが、これを偶々同宿していた義経が加勢して退治し、共に奥州の藤原秀衡の元へと道行するわけです。義経はここで牛若丸から元服したとされ、吉次を烏帽子親とする伝説もあります。
尚、このくだりは奥浄瑠璃の「熊坂長範」にも脚色された演目があり、正に丁々発止の大活劇となっています。
吉次、吉内、吉六の三兄弟が平泉に向けて下ってゆきます。尺八がいいですね。
財宝を持った兄弟が投宿したと聞いた盗賊の熊坂長範が宿に押し入ります。
熊坂長範です なんかカッコイイなぁ
熊坂と吉次兄弟が争っているところへ義経が入り、退治した後は共に奥州へと向かうことになり、千代の御神楽で舞い納めます
動画でどうぞ。 ※ワイヤレスマイクの設定不調のためハウリング音が入っています。ご了承ください。
米川の水かぶりのタイムテーブルとマップです
場所はここです
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