成岡田神楽 叢雲神語@ 前沢郷土芸能祭
さて本日は、前沢郷土芸能祭から成岡田神楽で 叢雲神語(むらくもかみがたり)です。八岐大蛇退治です。
その前に成岡田神楽さんの由来について村上護郎著「南部神楽」から
「田河津横沢篭山の千葉栄三郎は西南戦争の際の同年兵、平泉町達谷の屋根ふき職人古太郎より、千葉幸蔵等と共に神楽を習い竹沢神楽を創始、明治三十年岩井里に、大正十年夏山に、また前沢成岡田にも伝え、成岡田の面は千葉栄三郎の作であり、神楽台本も残されている。」
とあります。現在の代表者は千葉守さんです。
成岡田という地区は前沢の束稲山北西麓に位置する集落で、県道106号線をたどると田河津集落まで眼と鼻の先である。
したがって、田河津高金の佐藤金治郎の元へと神楽を習いに通ったのも頷ける。
成岡田に神楽が伝わったのは明治43年であるという。佐藤金治郎発祥の高金流の竹沢神楽直系です。
さて、演目の叢雲神語は、少し聞きなれないタイトルですが、八岐大蛇退治というのが南部神楽での一般的な呼び名です。
しかしながら、天叢雲宝剣由来記という場合は、全四章または五章に及ぶ段事のことを指します。
由来記の一は、三熊退治といい宝剣の由来を説く物語となっています。
そして、由来記のニが叢雲神語といいいわゆる大蛇退治の場面です。
以降、三が宝剣納めで、四が日本武尊の悪鬼退治、その五が義経の竜神舞(老松若松)となります。
最初に脚摩乳が出て、八岐大蛇に娘の稲田姫を人身御供に出さねばならず、悩まされている状況を語ります。
稲田姫の母手摩乳です
そこへ、諸国をさすらった末に、出雲斐の川にたどり着いた素戔嗚尊が何事あって嘆くのかと足摩乳に問いただします。
老夫婦の悩みを聞き、八岐大蛇を退治する故、娘の稲田姫を我に賜りたまえと申し出て、大蛇との戦となります。
さて、大蛇です。
何と黒子が吊るし大蛇を担いで荒々しく舞い出てきました。驚きました。
吊るし大蛇は、本来は神楽舞台の上に渡した杭(竹)からロープで蛇体を吊るし、それを舞台脇で操りというもの(そういえば、この操る係が黒子装束していることもあるな)
この日のように、四方柱を立てないステージで吊るし大蛇を使うとしたら、確かにこの方法がベストでしょう。
苦肉の策というより、これは新しい発想かもしれませんね。(いや、昔からこの手法もあったのかもしれない。どなたかご教示下さい)
で目出度く八岐大蛇を退治し、稲田姫を娶った素戔嗚尊は高らかに謳い上げます。
〽 八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
動画でどうぞ。
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