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2012.05.27 | Comments(2) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

平泉文化と南部神楽 その1

今日はとてもよい天気でした。
昼食を取るため平泉のレストハウスに立ち寄ったわけだが、隣の観光バス添乗員席での話題は東北六魂祭のことでいっぱいでした。盛会裏で一安心。

さて、その後、曲水の宴をやっている毛越寺を横目に見ながら達谷窟へと急ぐ。

で、平泉文化と南部神楽と題したこの企画であるが、今日は予定では大森神楽と達古袋神楽の出番であったが都合で出られなくなり、宮城県栗原市の鶯沢神楽さんが頑張って上演することになった次第。

上演に先立ち、神降ろしを

DSC09722.jpg

鶯沢神楽の代表の方に伺ったところ、普段はこのような神降ろしは行わないが、今日は西光寺の中で行うこともあり神楽本来の様式をたどって行うとのこと。

DSC09701.jpg

ご祈祷が行われ、観客にもお祓いがなされる。

DSC09703.jpg

神降ろしの舞
(後に代表の方にお伺いしたところ、このような神降ろしは最近までは行わていなかったとのこと。しかし、最近は神舞を重要視するようになってきたこともあり、復活を試みているとのこと)


DSC09720.jpg



神降ろしのご祈祷から神降ろし舞まで
動画でどうぞ。

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.05.27 |

コメント:

流派名は

現在私も調査中ですが、嵯峨立では「修験道賀多羽流」或は「加多派流修験道神楽」等と嵯峨立では言っていたようなので、それを口伝えに聞いて字をあてたのではないでしょうか・・・
加多派…賀多羽…または片派と様々でハッキリといわれが解らないのです。

元締めの上沼加茂流から加(賀)をとって南部神楽に移行した際に何かを文字って付けただとか…

北上川を挟んで対岸で分派したから片派として字を改めたとか本当に様々です…
資料があったようですが前会長宅が火災にあった際に無くなったのが悔やまれます。

2012-05-28 月 11:03:03 | URL | 富主非女 #- [ 編集]

かたはの意味

資料が消失ということで解明は難しそうですね。
「かたは」について、こんな推理をしてみました。
上沼加茂流法印神楽の流れで伝承していったということで、上沼八幡神社との結びつきで考えてみます。
この八幡神社は文字通り平安中期に岩清水八幡を勧請して源頼義・義家父子が建てたといわれている。
源義家=八幡太郎義家は伝説によると片羽の白矢を使ったといわれている。
そこから上沼八幡の象徴として片羽の文字を神楽組の名前に付けた。。。と、苦しいなぁ。
まあ、あまり堅苦しく考えなくてもいいのかもしれない、今風に例えるとよさこいソーラングループが迫力ありそうな漢字をならべてチームの名前につけているのと同じ感覚だったのかも。
それにしても「剣舞神楽」は謎だ。三宝荒神? そういば南部神楽の所作には剣舞の要素があると言われているが。

2012-05-28 月 21:48:01 | URL | 祭りの追っかけ #- [ 編集]

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