見前神楽 大岩戸・とりら舞 @大国神社秋季例祭
さて本日は盛岡市津志田鎮座の大国神社秋季例祭から見前神楽で大岩戸・とりら舞です。
その前に見前神楽(かつては見前宮崎神楽と称していた)の由来について
「秋田の尾去沢鉱山から移住した修験が始めたものと伝えられ、この修験は現在の堂前である宮崎家の祖という。
元治元年(1864)に根田善四郎に神楽が伝承され、その後神仏分離令によって宮崎家が神楽から離れたため根田家が庭元を引き継ぐこととなった。
神楽衆は、元は北野神社(西見前)周辺に住む長男のみに伝承されていた。」
ということですが、盛岡八幡宮の神明神楽と見前神楽の関係については明日記述します。
さて、演目のとりら舞です。
大岩戸の4番の一つに構成されているわけですが、天孫瓊瓊杵尊が天降りする前に猿田彦が前祓いをしたのちに舞うもののようです。天孫と共に天降った五伴緒の舞で、女人の相舞となっています。
ところでこの「とりら舞」の「とりら」の語源は不明とされていますが、そちらこちらの神楽の詞章の中に頻繁に出てきます。
山伏神楽の天女では 〽明日は祇園の祀り事 いざさわいでてあそぶなり と幕出で舞い出ると胴前が
〽 とりらえ とりら と歌う。
秋田の番楽でも同様に天女の中で 〽 らら とりらら とりら と囃子がかかり、興屋番楽では演目自体が「鳥ら」となっている。
また、岩手県南の南部神楽でも鐘巻や宝剣納め等の姫舞の際に胴取がとりらとりらと歌う事例が多くある。
このことに関して、本田安次は「山伏神楽・番楽」の中で、こう書いている。
「この天女の型は、南部神楽の女舞の中などにも好んで取り入れられているのを見る。二本扇を使って舞うのは、ほぼこの天女の型と見ていいらしい」
全く示唆に富んだ見解だと思います。
県南の南部神楽が舞の手を多く取り入れたのはやはりこの盛岡周辺(岩手山麓)の山伏神楽であったろうと推量される。
この辺のことは明後日の三宝荒神の項でとりあげます。
ところで、この「トリラ」の意味について興味深い論説があります。
平成25年に大償神楽佐々木裕氏発行の「日本神楽之巻物 古文書解読」の中で、
初座鶏卵相舞弐人図の舞祝詞として次のように記している
「ひひたらり たらりら たらり あがりららりひ
てりやたらり たらりらたらり あがりららひひ」
鶏(とり)卵(らん)とも読めるか?
他に、三番叟の中には「とうとうららり」という詞章があり、これを、韓国語(古朝鮮語?)では鍛冶の祭式に関わりがあるとしています。
修験道(=不動明王信仰)と山師・鍛冶師(=鉱脈を探し出し火によって精錬する)は表裏一体ともいえるし、何となく謎めいています。
動画でどうぞ。
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