行山流小沼鹿踊 @ 第37回大東町郷土芸能発表会
さて本日は、第37回大東町郷土芸能発表会から行山流小沼鹿踊です。(この日はメンバーの都合が悪かったのか6人踊りです)
小沼鹿踊は行山流の中でも大原山口屋敷の又助に起源をもつ山口派になります。
その大原山口屋敷が没落して文化14年(1817)に木盃等一切を大東渋民の小崎幸五郎に引き継ぎ、さらに明治中期に大東摺沢の三浦利三郎に伝授されたのが小沼鹿踊の嚆矢となろうか。
この山口派の鹿踊りは山城国の山口城の郷士が大原八幡堂に定住し、仏前供養のために始めたものであろうと。
また、小沼鹿踊りに伝わる文書には
行山をとりの事
一、く屋うの御紋
二、菊の御紋
三、かに牡丹の御紋
四、とりげまいかけ
右の通御紋おはいりやうの事
東山大原村山口屋敷
又助
安永弐巳午年八月八日
とあり、1773年に伊達家より紋章使用の許可を受けたとある。
また、別の文書に
御詠歌ならひに
ご紋の儀は中立ちに限るべし
垣躍は九曜の星を附くべし
其外伝執心によりて会伝授申候
このことより、流しに御詠歌を入れるのは中立ちと雌鹿のみとなっている。
中立ちの流しには
「陸奥の信夫牡鹿乃牝鹿の里 声を揃ひて遊ぶしかかも」
雌鹿のは
「秋萩をしからみふせて鳴鹿の めにはみへずとおとのさやけさ」
となる。
さて、当日プログラムには演目として「入羽、大入羽、水車、一人狂、三人狂 他」とありますので、一つ一つ見ていきます。
入羽で庭入りした後、中立を中心に鹿達が廻りますが、躍動的に踊りながら回ります。行山流らしくササラを大きく左右に揺らしながら踊ります。
さて一人狂い、抜き撥を打ちつつササラをグリングリンと回しては燕返しです。
その後に、ササラを大きく前に突き出しての肩入れです。
〽 これのお庭に で三人狂いに入ります
ササラを大きく左右に振る様が特徴的です。
これは、太鼓系鹿踊のルーツとされる仙台鹿踊にも無く、志津川水戸辺から始まった行山流のみに見られる芸態です。
そして最後はアナウンスでは「踊り鹿子」と言ってましたが、確かにただ単に輪になって廻るのではなく、踊り跳ねながら廻っているのが特筆すべき点です。
小沼鹿踊には若い踊り手も入っているようですので、これからの活躍が期待されます。
動画でどうぞ。
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