平泉流細野念仏剣舞 @ 第36回金ケ崎町郷土芸能発表大会
さて本日は、第36回金ケ崎町郷土芸能発表大会から平泉流細野念仏剣舞です。
演目は入込み、早念仏、讃、神楽拍子の順でした。
細野念仏剣舞の由来については金ヶ崎町の民俗芸能誌他より
平泉の藤原泰衡が源九郎義経を討った後、亡魂が高館や猫魔が渕に現れ人々を悩ませていたので、中尊寺では七日七夜山王神社に祈祷した所、一匹の猿が現れ亡魂に混じって面白おかしく踊りだしたという。
これを見ていた亡魂が一緒に踊っているうちに済度されたということが念仏剣舞の濫觴と言われている。
永徳三年(1383)七月、平泉高館に住んでいた剣舞の師匠、弥左衛門がこの剣舞を中興し、正長元年(1428)5月、高館駄一郎が南部の立花(北上市)に伝えた。
永岡村に伝わったのは明応三年(1494)6月であるとされる。
ということです。
現在の代表は高橋定幸さんです。
という伝承説明を受けると北上立花の剣舞の系列となるところですが、現在の芸態装束を見る限りは胆沢経由の念仏剣舞です。
金ヶ崎町の民俗芸能誌の中でも「胆沢町の朴の木沢念仏剣舞の伝承と同じ」と書いてあるとおりと思います。
ところで細野念仏剣舞は、胸当にもあるとおり女剣舞として名声を博した時期がありました。
それは昭和13年に始まる支那事変、それに打ち続く戦争に部落の男たちが招集されて男手の無い中で祖霊を鎮めるための剣舞をなんとしても続けなければという思いで、後に残った女性たちが剣舞を伝承してきたことに基づきます。
しかしながら、少子高齢化の現在にあって「このままでは剣舞が廃れてしまう」と考えておなご剣舞の皆さんが話し合った結果、子供たちに伝承していこうという機運が盛り上がりました。
そして、永岡地区内の子供たちに呼びかけ、それに応じた子供たちに伝承を始めてこの日の舞台となりました。
以前の細野剣舞はおばさま達のゆるやかな踊りという印象でしたが、この日の神楽拍子などはキレのよい生き生きとした剣舞でした。驚きです。
この日舞台に立った二人には惜しみない「頑張れよ!」の拍手がやみませんでした。
これからの細野念仏剣舞に期待します。
動画でどうぞ。
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