2016.11.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

布佐神楽 一ノ谷の合戦 @金鶏山夜神楽

さて本日は、金鶏山夜神楽から布佐神楽で一の谷の合戦です。

その前に布佐神楽の由来については定本より

「文久三年(1833)千葉菊治、鈴木門治が世話人となり、東磐井郡相川村(現一関市)字水上の千葉稀治、千葉作右ェ門の指導により、法印神楽を千葉忠之丞、千葉兵太夫に伝授された。
さらに明治八年松川村(現東山町)の法印管野典善師より法印神楽を学び、倭書記神楽の巻物を授けられた。
明治後半から大正初期に至り、法印神楽を基本にしながらも、地方の伝説、民話、物語等を神楽用に脚色したり、科白(せりふ)神楽等も演目に加え、この地方独特の神楽として名声を博して来た。
初代庭元千葉兵太夫で現在の庭元千葉慶一は一○代目である。
昭和五三年三月、川崎村指定無形文化財となっている。」

とのことです。現在の代表は千葉仁一さんで、岩手県指定無形文化財になっております。



おごれる者は久しからずし栄華をきわめた平家一門でしたが、今は都を追われて西国に落ち延び、一の谷に固く陣を構えました。
しかし、難攻不落の要害と思えた一の谷の陣も、軍略の天才源義経による鵯越の奇襲によって破られ、平家一門は四国屋島へ渡るため、あわただしく船に乗り込みました。

笛の名手と世に聞こえた若干16歳の若武者平敦盛は、愛用の青葉の笛と大切な巻物を陣中に置き忘れてしまい、舟に向かう途中で引き返します。|

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いち早く敦盛の忘れ物に気付いた妻の玉織姫は、戦乱の最中、敦盛を追いかけて笛と巻物を届けます。玉織姫は、戦場に伴うよう懇願しますが敦盛は許さず、都へ戻るようさとしました。

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別れ際、玉織姫から7ケ月半の子を身籠っていることを告げられた敦盛は、その子への形見にと黄金づくりの短剣を渡し、嘆き悲しむ玉織姫を残して戦場へと向かうのでした。

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さて、源氏方の軍勢におされ、すでに一ノ谷に平家方の兵は一人も残っていません。
四国屋島へ向かうべく、船はすでに沖に出ています。
敦盛は舟に追いつこうと愛馬を波間にうち入れようとした矢先、源氏の武将熊谷次郎直実に見咎められてしまい、再び浜に戻ります。
敦盛は勇敢に戦いますが、なかなか勝負がつかず、ついに組み伏せ,れてしまいます。
熊谷は、相手がまだ若い少年だつたのに驚いて、敦盛に名乗りを勧めました。そして若武者敦盛が我が子小次郎と同年と知り、尚更不憫に感じ、西国に逃し助けようとするのでした。

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しかし、武者所の平山将軍に見咎められ、敵将を見逃すとは平家に二心ある証拠、敦盛もろとも首を刎ねるぞと追求され、やむなく熱盛りを呼び戻す直実でした。

(幕裏から扇と幣束を振って、平山武者所を表現しています)

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彌陀の浄土に座るようにと念じる敦盛の首を涙を呑んで討ち取ります。

(ここでの胴取さんの口説きが泣かせます)

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戦の後、世の無常を強く感じた熊谷は、敦盛の菩提を弔うべく出家して法然上人の弟子となったのでした。

IMG_7765.jpg

動画でどうぞ。


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2016.11.05 |

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