2016.10.20 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

阿久戸神楽 御所の五郎丸陣屋巡りの場 @ 第39回平野神社奉納神楽大会

さて本日は、第39回平野神社奉納神楽大会から阿久戸神楽で元服の場より 御所の五郎丸陣屋巡りの場です

その前に阿久戸神楽さんの由来について

「明治中期、佐藤宗治が庭元となり南部神楽系城生野神楽の小野寺直師匠より神楽を伝授され、堀口神楽を創設した。戦時中一時中断したが、昭和四九年一二月有志により復活し、阿久戸神楽と改称した。
初代庭元佐藤宗治、現在の庭元佐藤錦は五代目である。」

とあります。現在の代表は村山栄利さんです。



この御所の五郎丸陣屋巡りは、歌舞伎などでも有名な曽我兄弟の仇討話が底本になった神楽です。

安元2年(1176年)10月に河津三郎祐泰は所領争いにより同族の工藤祐経に矢で射られて落命する。
その後工藤祐経の未亡人はふたりの子どもを連れて相模の曽我祐信のもとに嫁ぎます。
このふたりの子どもが曽我十郎祐成と曽我五郎時致です。
父を失ったとき、兄十郎祐成は5歳、弟五郎時致は3歳でした。
その後、兄弟に父の仇工藤祐経を討つチャンスがめぐってきました。
建久4(1193)年5月28日、源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行うと聞き兄弟は仇討決行を企てます。

IMG_7239.jpg

しかし、陣屋は折り悪く雨激しく、警戒も一段と巖しさを増し「一の木戸」「二の木戸」は無事に通り超えたが、「三の木戸」は祐経の重臣と宮形八郎重房が警固しています。
宮形八郎重房の改めは厳しいものでしたが、御所の五郎丸の計らいで何とか通ることができました。

IMG_7242.jpg

三の木戸を通り抜けた兄弟に御所の五郎丸は更に仇敵である工藤祐経の陣屋幔幕の紋所を教えます。

IMG_7252.jpg

これによって曽我兄弟は本懐を遂げることができたのでした。


IMG_7243.jpg

※致し方ないのだと思いますが、この日演技中に烏帽子と面が外れるというアクシデントがありました。
制限時間内に納める制約上なのか、外れたまま続行していました。(制限時間内に納める事にどれ程の意義があるのか)
演技を一時止めて装束をあらためるということはできなかったのでしょうか。
それとも、装束をきちんと取れないように備えることも技のうちということでしょうか。
観ている側からすると、クライマックスの場面だっただけに舞手さんが気の毒でしたし、観ていて辛くなりました。

動画でどうぞ。



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2016.10.20 |

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2016-10-21 金 22:19:58 | | # [ 編集]

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