岡谷地神楽 軍勢借り @ 第39回平野神社奉納神楽大会
さて本日は、第39回平野神社奉納神楽大会から岡谷地神楽で軍勢借りです。
その前に岡谷地南部神楽さんの由来について
「明治三二年、工藤清右エ門(東和町嵯峨立から養子に来た人)が庭元兼師匠となり、修験道加田羽流剣舞神楽を部落の若者達に指導し、岡谷地南部神楽を創設した。
初代庭元工藤清右エ門、現在の庭元高橋安治は六代目である。」
とありますが、現在の代表は佐久田和尋さんです。
胴は高橋真一さん、今日も気魄の籠もったバチさばきと掛け声です。
幕上げがかかります
〽 センヤハー 義経は 基治館へ急ぐなり~
源義経です。流れ神楽っぽい面ですね。
佐藤庄司基治です。
庄司というのは、領主の代理として、年貢の徴収や管理などの任務を行う役人の役職名です。
奥州信夫郡(現福島市飯坂)を治めていたので、湯の庄司とも呼ばれていたという。
軍勢借りとは、義経が頼朝の出陣に参戦しようと平泉から鎌倉へ行く途中で加勢の家来を得る話となっています。
藤原秀衡から荘園を預かる佐藤基治は福島県の飯坂周辺を根拠としていた。
そこを訪れた義経が武勇をはせた兄弟がいるということで、二人のうち一人でも貸してほしいと佐藤基治に願い出る。
継信と忠信は、我こそ武勲を立てたいと他をおしのけて出陣しようと兄弟争いをします。
そこで父基治は二人とも義経の家来となって名を挙げよと告げる。
そして、兄継信には、戦場での心得として、敵将の放つ一の矢、二の矢は手で払っても、三の矢は管矢に違いないので、必ず刀で薙ぎ払えと教えます。このことが後の屋島合戦の場面の伏線になっています。
義経と継信、忠信兄弟がともに駒を並べて屋島の合戦へと急ぐ場面です。
動画でどうぞ。
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